あやこ先生(答える人)
埼玉県さいたま市在住。東京家政大学卒。年中担任(インタビュー当時)。趣味はお菓子作り。自転車も好きで、ママチャリで京都まで(!)。
ゆうた先生(尋ねる人)
一種免許も持っている採用担当・副園長。法政大学卒。2児の父。園全体の保育環境を支えるのが仕事。木工が趣味だが上達しない。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
学生の方が聞きたいだろうな、ということをいくつかお尋ねしていきます。
まず、学生時代にいくつの幼稚園を見学しましたか?
気になっていたところを見学して、そのうちいくつかには面接もしていただきました。結果的に4~5園を見ました。ここのような雰囲気のところはなかったですけれど。
とはいっても、それぞれの園に長所があったのではないですか?
あまり覚えてないですね…。ただ、勉強させてばかりという園には違和感がありました。
見学した園はどこも「お勉強」でした?
自由に遊んでいるように見えても「設定」があったり、「やらせる」ことが多かったりしました。劇遊びにしても、子どもが自分から楽しんで、ということはなかったです。
私はふだんから幼稚園のウェブサイトをたくさん見ますが、どこでも必ず「設定」(「主活動」など)がありますね。そして、朝と午後におしきせの、放置するだけの「自由保育」があって…。
ということは、そのどちらでもない高階幼稚園は、ここしかないという意味で選びやすかったですか?
比べて選んだという感覚もなかったですね。「ここ、みんな楽しそうだな」とか、「子どもが生き生きしてるな」とか、「すごく勉強になりそう」と思って決めました。
そうなんですね。
見学させていただいたとき、海の組(年長)の数名がおすし屋さんをしていたんです。回転ずしが出てくるんですよ。
レーンとして敷いてある紙を引っぱるとおすしが動くとか?
細かい仕組みは覚えていないのですが、積木の壁にお皿が通る穴があって…。子供の姿は壁の向こうで見えないんですけど、穴から本当におすしが出てくるんです。案内してくださっていたきみこ先生に「すごいですね!」って言っちゃいました。「こんなおもしろいことを子どもが考えて実践するんだ!」と驚いて。
それ、私も見たかった(笑)。たしかに、「これ一緒にやりたいな」って思いますね。
ただただ「すごい!」という印象でした。
高階幼稚園を選んだというか、他の園はおもしろくなかった、ということでもあるんでしょうね。
そうですねぇ…。(他は)「ここで働きたいかなぁ(そう思えないなぁ)」っていう…。
ということで、そのおもしろい話を1つ教えてください。最近では何がありましたか?
たくさんありすぎて困ります。
では切り口を変えて、「これは(子どもが)頭を使ったなぁ!」、「よく考えて遊んでいるなぁ!」という視点から。もちろん、先生の働きかけがないと子どもはそのように遊べないわけですが。
今日もありましたね。本当に真剣に遊んでいるんだな、と感じた場面なのですが、Yくんが「おまつりをやりたい!」と言い出して、おまつりごっこが発展しそうな状況で、みんなの雰囲気が「まず、おまつり会場を作るんだ!」となって、「♪工事場♪(リズムの曲)かけて!」って。
へぇ!
オリンピックごっこのときに、まずは会場整備からということで工事ごっこが盛り上がりましたよね。あの感じです。私は思いつかなかった発想でした。
もちろん「そうだよね!」と応じて、♪工事場♪を流して、屋台を作って…。私が「車輪を組み立てています!」と実況したらますます楽しくなって。
本当に真剣に考えて遊んでいると、遊びが繋がるんですね。オリンピックのときに「やらされている」のだったら、おまつりも会場整備から、とはならなかったでしょうね。
はい。子どもの中では全部が繋がってます。
大変だと感じることを聞いていきたいです。
私のこととして、遊びを発展させていく、ふざけてしまう雰囲気を充実へと変えていく、ということにいつも難しさを感じるのですが、あやこ先生の最近のお話の中で、水泳オリンピックごっこが一段落しておふざけになりそうだったとき、パッと思いついて「次はお相撲オリンピック!」と提案したら一生懸命な遊びが続いた、というのがありましたよね?
あんな感じで「いいこと」を思いついて軌道修正していく、というのは大変ですか?
最初は大変でした。すぐには何も思いつかないし、「どうしよう。子どもの遊びがこんなになっちゃった…」みたいなこと、よくありましたよ。
でも、いろいろやっていくうちに引き出しも増えて、今となっては何があっても大丈夫というか、「よし、(難しい状況が)来たぞ!」、「(子どもが)そう考えるならこうしてみようかな?」、「○○でも楽しくなりそうだし、△△でもいけるな」というふうになりました。状況を楽しめています。
新任の頃は大変だったけど今はそうでもない、というエピソード、他にもありますか?
声を聞きとれなかったですね。
製作などのときに、ですね?
何人もに同時に呼ばれると、誰が何をしてほしいのか瞬時にわからなったです。
聞きとれたとしてもすぐに応じられない、という段階もあったでしょうね。
高階幼稚園の保育を説明する時「一人ひとりに指導案がある」のように表現することがあるのですが、そういうことですね。それって、普通に考えると確かにすごい。人間業じゃないというか(笑)。
大変ですね。でも、大変だからこそ、できたときに嬉しいです。「ああ、こういうことなんだ」ってわかったり、自分の援助で子どもが充実してるのを見ると、大変さが倍の嬉しさになって返ってきます。
いつ頃「大変」じゃなくなりましたか?
いまでも「大変」ですよ(笑)。
そりゃそうですね(笑)。
一つひとつがクリアになってきて今がある、というか、「積木のピースを積み重ねてきたなぁ」って。
35年以上勤めてるゆうこ先生(園長)でさえ今だに発見の連続だって言ってますもんね。「大変」さを大切にしなければならないってことでしょうね。
自分に起きた変化という言い方もできますね。自分の可能性がいろんなところにある感覚、「ここまで」ってことがなくて、いろんなことができる自覚というか…。
子どもの遊びが小さく収束してしまいそうになっても、「大丈夫よ。こうすれば…」ともっていけます。限界はないと感じます。
なんて頼もしさだ(笑)。
プライベートでもそういう意識が強くなりました。
「中腰の時代」と呼ばれる4歳児担任としての大変さ、ということで特に挙げることがありますか?
発達的な意味ですか?
はい。目の前のことや簡単な想像のおよぶ範囲で遊ぶ3歳以前と、高い目標に向かって生活するようになる5歳児、その過渡期としての年中さんを担任していて、ということですね。
子どもが目指すものに対して子ども自身がうまく行動できないとか、すぐ遊びをやめてしまうとか、他のことに気が移りやすいとか…。
「困ったな」は「ここを変えよう」ということなので、「困ったな」という状況にとどまるってことはないですね。
いろいろやってみるうちに、いつのまにか変わってます。保育では、止まってる時間はないですし。
最後に、今後の目標を教えてください。
子どもがより充実して過ごせるように自分の能力を上げる、です。
その「能力」って、具体的には何でしょうか。
どんなことにでも対応できる知識であったり、ピアノだったり、リズムの技術も…。
全員が伸びていけるように内面を理解する洞察力がもっと必要だと感じています。
ありがとうございました。