母親と幼稚園

もう 葉っぱがいなくなった木。

がんばり屋の葉っぱが しがみつく木。

冬の行進曲が聞こえる 月曜日の朝。

自然幼稚園は

今日もおもしろい。

子どもさながらの 遊びの生活の中に

教育を入れていく

保育の一日が 始まる。

お母様の手 保育者の手が

教育の原点だ。

手は心。

心で教育するのでなければ

子どもの中身は 育たない。

お母様たちと作った 木のお馬さんたちは

子どもたちの遊びの仲間となって 活躍している。

ヘラクレスオオカブトも がんばって作るのだ。

薪割の要領で エイッ!

おお!真っ二つだ!

だんだん本物らしくなってくる

ヘラクレスオオカブト。

お馬さん作りの 熱中。

ワニさん作りの 熱中。

今日も母友たちが活躍。

子も母も お互い同士が教育環境なのだ。

お友達は すばらしい!

幼稚園のそこここで

熱心な遊びが繰り広げられている。

子どもたちの 思いを酌むこと。

一人一人の「こうしたい」を

はっきりとした形に 表すこと。

そのために 保育者たちは

頭も目も耳も 手も足も

身体中の神経を 精一杯使う。

近くを見たり 遠くを見たり

行ったり来たり 走ったり跳んだりするので

幼稚園の先生になったとたん

視力や筋力が アップする。

子どもたちの要求に 答えるために

いろいろな技術が 身につく。

身体的なことだけでなく

心の容量も 大きくなる。

ちょっとやそっとのことで 困ったりしなくなるのだ。

子どもたちの 自ら考える力をはぐくむために

大人としての知識や判断力も 磨かれる。

お母様も きっとそうだと思う。

教育はお互いだ というけれど

子どもを育てながら 自分も育つ。

子どもを育てるということは

なんと 主体的なことなのだろう。

どんな仕事よりも

創意工夫が必要だ。

人間の根本を 育てているのだもの。

自信がないからといって

保育所の先生に 全てやってもらっていたら

自信がないままの人生になる。

子育てにマチガイはつきもの。

やってみて 間違ったと思ったら

訂正しながら 前へ進むこと。

気を取り直すこと ーーー。