fbpx

保育理念

保育理念は「子供にこうあってほしい」という願い。そして「私達はこうする」という約束です。

キーワードで考えると以下のようになります。

「目的力」の伸長のために「相互主体性」の中で幼児にふさわしい生活を「反復」すること。

「遊びの充実のために毎日一心同体で生活すること」と表現してもいいですね。

以下では、子供と大人の関係、そして3つのキーワード「目的力」「反復」「相互主体性」をもとに、高階幼稚園の思いをお話しします。

園選びの参考にもなるでしょう。

文が長くなってしまい恐縮ですが、どうぞお付き合いください。

幼児期に育みたい「目的力」

順を追って見ていきましょう。まず「子供にこうあってほしい」という願いについて。

お断りしておくと、ゴールは「大人の都合」ではありません。どこまで行っても「子供の人生の幸福」です。

幸せの形は人それぞれ、とよく言いますよね。確かにその通り。好きな食べ物は○○、好きな本は○○、インドア派(or アウトドア派)、一人の時間が好き(or 常に誰かといたい)、絵を描くのが好き、整理整頓が好き、海の傍に住みたい…。まさに千差万別。

一方で、全員に共通する幸せもあるのです。
わかりやすくするため、反対から考えます。

「意地悪な人と結婚したい」と望みますか?
「不機嫌な友達がでほしい」と願う人は?
「身近な人に無視され続けたい」ですか?

おそらくNo!ですよね。

そして、「誰かが自分を全力で応援してくれる」、「真剣に相談に乗ってもらえる」などの状況は誰にとっても嬉しいはず。

「心」の幸せは「人それぞれ」ではなく、ほぼ決まっているのです。幸せの基本形は共通しているというか。

その「幸せの基本形」は、こう呼ぶことができます。「目的力」(もくてきりょく)。

これが幸福に大きく影響します。個人的な感覚では、これがないと本当の幸せは得られないのではないか、とすら思えるほどです。

さて、目的力をやや丁寧に書くと「目的に向かう力」。柔らかい言い方では「充実して遊ぶことに一生懸命になれる力」となりましょう。子供の生きる目的は充実して遊ぶことですからね。

目的力にはさまざまな側面があります。

充実して遊ぶのですから、まず【興味関心を持つ】力は外せません。

遊びの充実には製作の難しさや動きの複雑さが伴いますから【柔軟に工夫する】力や【粘り強く続ける】力も必須。

また、【譲り合う】【協力する】【我慢する】【他者の話を聞く】力も含まれます。友達との関係が豊かになるからこそ充実して遊べるのですから。

さらには【自分の考えを伝える】力も、目的力を構成する大切な要素。

以上のような能力群は「非認知能力」、すなわち心の力としてここ十数年脚光を浴びています。OECD(経済開発協力機構)の用語では「社会情動的スキル」や「性格スキル」とも。

それをこのページでは「心」「幸せの基本形」「目的力」と呼んでいるわけですね。

ところで、「心」を伸ばすことは同時に「身体」「頭」も育む、とお気づきでしょうか。

例えば砂場でのワンシーン。充実した遊びではとにかく「身体」を動かします。重いバケツを持って水場と砂場を何十往復するか想像してください。

さらに「スコップが○本」「Aちゃんは○番目にトンネルをくぐった」「水の量はこれくらい」など数量の概念に触れ、「頭」を働かせる機会も無数にあるでしょう。

以上の話からわかるように、幸福に直結する「目的力」は、幼稚園教育要領(保育所保育指針、認定こども園教育・保育要領を含む、以下同じ)でも「学びに向かう力」として大切に扱われています。

また、世界を見渡して、その重要性に疑問を持つ保育者はいません(いたとしたらニセモノです)。

目的力が幼児期に伸びること、目的力が小学校以降の学習の基礎となり、さらには人生全体を力強く支えることには、もはや何の疑いもないのです。

「子供の目的力を大きくしたい」と高階幼稚園が願う意味を、ご理解いただけたでしょうか。

私達はこうする①「反復」

では、園・保育者(先生)は何をしているのでしょう?

考え方としては非常に簡単。子供の目的力を伸ばしたいのですから、目的力を毎日たくさん使えるようにするのです。

外国語やスポーツの上達プロセスをイメージするとわかりやすいでしょう。

「英語を流暢に話せるようになりたい」と思ったら、あなたは何をしますか?いいスクールを探す、いい講師を探す、いい教材を探す、旅行で実際に話してみる、英語で会話する友人を作る…。いろいろありますね。

そして、最後は必ずここに行き着くはず。「反復」。繰り返し練習するということですね。

そうなのです。実力のある先生と出会っても、最高のオンライン教室を見つけても、最終的には「反復」しないと話せるようにはなりません。スポーツの上達に関しても同じ。

このように、「身体」能力や「頭(認知)」の能力の向上には「反復」が不可欠、と誰もが知っています。

では、「心」の能力(非認知能力≒目的力)はどうすれば高まるでしょうか?答えはやはり「反復」。

遊びの中でこの「反復」を行うのです。毎日です。

興味関心から生活を始め、柔軟に工夫し、協力し、自分の考えを伝え…。そんな日々によって目的力が育つのですから。

簡単にまとめると、園・保育者の仕事は目的力を「反復」して使えるよう援助し続けること。

心を伸ばすには「反復」が不可欠、というお話でした。

私達はこうする②「相互主体性」

もう1つ、保育理念の実現に欠かせない園・保育者の心構えがあります。

それは上記の「反復」が「相互主体性」に基づいていること。

「相互主体性」は、言い換えれば「一心同体の関係性」。「子供主体」の考え方を発展させたもの、と捉えてもいいでしょう。

日本の保育は昭和の「大人主体」時代、平成の「子供主体」時代を経て、令和の「相互主体」時代を迎えました。

1つずつ掘り下げて説明しますね。

まず、大人が遊びを規定してしまう「大人主体」保育について。

昭和の時代に広まったこの保育スタイルは、子供を受け身にしてしまうことがわかっています。「一斉保育」という言葉に代表される、反省すべき歴史の遺物ですね。

次に、広く蔓延している誤った「子供主体」保育も、いよいよ見直されるべき時期に来ました。どうしても「放任」に寄ってしまうからです。

平成にはこれがもてはやされましたが、「小1プロブレム」の温床になる危険も指摘されており、軌道修正が求められています。

そして、大人が子供に乗り移るように、「一心同体の関係性」で生活する「相互主体」保育。

令和はこの考え方が大きなトレンドになっていくでしょう。これだけが子供の心理発達を真に促すからです。

具体的な場面を想像してみましょう。

例えばレストランの遊びを思い浮かべてください。「大人主体・子供主体・相互主体」保育それぞれで、遊びはどう展開するでしょうか。

大人主体の保育では「レストランごっこをする」と決められたところから遊びが始まります。どんな内装にするか、どんなメニューを並べるか、などは子供が決めるにしても、遊びの大枠は動かせません。

これはある面で、決められたことをする練習。受け身の状態で遊びが始まるのですからね。

もちろん、積極的に取り組める人もいるでしょう。20人クラスなら6~7人は充実して遊ぶだろうと思われます。

ところで、残りの13~14人は?

たまに充実を感じながらも惰性で続けるだけになる人がおそらく6~7人。残りの数名は「言われた作業だけ何となくこなす」になるでしょう。

傍(はた)から見れば「遊んでいる」のですが、心は動いていません。つまり「目的力」が使われていない。

また、これが日常になると、ある日はたまたま心が動いている人も、充実していない13~14人を身近に感じ続けることになりますよね。これは心理発達に負の影響を与えます。

教育学の用語で「隠れたカリキュラム(Hiden Curriculum)」というのですが、「直接は教えられていないが周りから学ぶこと」として、「言われたことだけをする」メンタリティが育ってしまうのです。

次に子供主体保育でのレストランの展開。

保育者(先生)の関わり方は「見守る」が中心になるでしょう。

誤った子供主体保育の場合、積極的に話しかけることは推奨されません。「あと少しイメージが豊かになれば遊びが一気に発展する」といった状況でも先生は「見守る」だけになりがちです。

もっと悪い想像をすると「言いなり」になることすら…。子供が「もうやめる」と言えば「わかった。次は何する?」です。次の遊びへの意欲が極めて大きい状態であればこの対応でも問題ありませんが、言いなりになるだけでは子供の「目的力」は育ちようがありません。

誤った「子供主体」の限界です。

最後に、相互主体保育では、レストランごっこはどう進んでいくでしょうか。

誰かが「いいオムライスができた!」となり、別の誰かが「小さい組の人に食べてもらおう」と応じます。また別の誰か(あるいは先生)が「レストランを作ったらいいんじゃない?」と言い出し、また別の誰かが「じゃあお庭にレストラン作るのね!」と思いついて…。

今、「(あるいは先生)」と書いたことに気づいたでしょうか?「子供主体」と「相互主体」の違いが表れる瞬間です。

子供に任せて見守る、を下手に貫くと、「大勢にオムライスを食べてもらおう」「レストラン開いてはどうだろう」「まずはみんなに提案してみよう」などのアイデアが出ないまま遊びがしぼむ、ということがよく起こります。

たまにならいいでしょう。しかし、遊びが始まっては盛り下がって終わる、をいつもいつも繰り返していては目的力の獲得など望むべくもありません。発達は「反復」なのですから。

そこで、確実に遊びを充実させ、子供達のイメージにも合っている考えを、先生が「一心同体の関係性」の中で行動に移していくのです。

「レストランを作ったらいいんじゃない?」と言いながら、身体はもうオムライスを運び始めている。そんな場面を当園ではよく目にします。その瞬間、子供達の頭が一気に働き始める、といったようすも日常の風景。

そのようにして生活していると、そこにいる全員が、自分の力を使って生活するようになっていきます。

「相互主体」的な生活の中でいつのまにか本物の「子供主体」が育っていく、と言うのでしょうか。

意志も工夫も協力も譲り合いも粘り強さも、持っている力すべてをフル活用していくことは想像に難くありません。

「相互主体性」が子供にとって決定的に大切であることがおわかりいただけるでしょう。

まとめ(保育理念について)

「子供にこうあってほしい」=目的力を育んでほしい
「私達はこうする」=相互主体的な生活を反復する

という保育理念をお伝えしました。冒頭で申し上げたように「遊びの充実のために毎日一心同体で生活する」感覚です。

目的力。相互主体性。反復。

これらの考え方は、保育の中で積み重ねてきた経験、世界で常識となっている科学的事実をしっかりと反映しています。どこに出しても恥ずかしくない、世界基準の保育理念であると言っていいでしょう。

そしてもちろん、幼児にとってもっとも大切なことが詰め込まれています。

ご興味が湧きましたら、ぜひ見学にお越しください。保育のようすを見ながらお話ししましょう。

また、不明な点があれば、どうぞ電話や来園の折にお尋ねください。

最後までお読みくださって、ありがとうございました。