教育される教育者

お出かけ日和の月曜日。

山の組線ホームにできた

回転寿司うどん店は

新メニューを考案したのにもかかわらず

閑古鳥が鳴いている。


皆それぞれの遊びに忙しいのだ。


知ってか知らずか

今日もママたちがお客様になって登場。

嬉しい店主たち。

赤ちゃんメニューはサービスだ。

大人向けの 辛みを利かせたメニューが

ママたちにヒット。

おすすめメニューは高評価を得

おなかいっぱいのママたち。

閉店の曲は♪蛍の光だ。

子どもたちは“本当らしく”遊びたい。


「遊び」と 大人たちは一言でいうけれど


幼児にとって 遊ぶことは生きることだ。


大人たちが遊びと称するものに


「自由にのびのび」がある。

自由にのびのびしていても


ただ見守っているだけでは 放任の幼児教育だ。

大人が「○○遊び」と称して主導する

形式にはめ込まれた幼児教育も多い。


自由にのびのびしていても 放任の幼児教育でなく

形式にはめ込まれた幼児教育でなく

子どもさながらの楽しい生活の中に

教育が存在する保育でなければ。

幼稚園くさくなく 教育はそっと行われるため

子どもたちは

自分たちはただ一生懸命遊んでいると思っている。

教育されているなどと思っていないのだ。


子どもが主人公の 自由な遊びの生活の中

子ども一人一人を伸張させるこの保育は


子どもも保育者も 持っている力を充分出し切って

互いに成長していく。


今この瞬間 この子どもの中身は動いているか。

停滞していないか

一人ひとりの心や頭の働きを

目や耳や心で

観て聴いて感じて

遊びを広げたり深めたりする

担任たちの一生懸命が

幼稚園の空気になって

その空気も 子どもたちを育てているーーー。