
幼稚園の天気予報は「時々冬」が「冬時々秋」。カツラの黄葉はいい匂いをさせていますが、ケヤキやイチョウは黄葉を待てず枝を離してしまう葉っぱたちもいて、自然の変化を感じます。潤い不足でくたびれてしまっているのかもしれません。
幼児も自然な存在です。子どもたちの心が乾いてしまわぬよう、行ったり来たりしながら潤いを絶やさずに、と思っていますが、保育者たちのジョウロだけでは足りません。お母様そのものがいちばんの水源なのです。我が子の心に安心感という潤いを蓄えることができるのはお母様をたっぷり味わわせること、それに尽きるのです。
けれどその母たちに都市化の嵐がおそいかかり、母たちの水源も涸れはじめてしまいました。そこに子育て情報という重しがのしかかり、母たちは教師化。幼児たちは不自然を味わいながら、安心感を蓄えることなく、大切な幼児期を空しく過ごすーーー。
就学するとそんな母子が大勢いるようですが、そんな母子にならないために、毎月の園だよりや 育ての会があるのです。
11月の育ての会の時、一年前から大切にしていたAちゃんのお母様からのお手紙のお伝えをさせていただきました。
お許しをいただいたので。年少児だったAちゃんの様々なお困り事と、どうしたらいいかというお母様のお気持ちが飾らず具体的に書かれていて、ほほえましく、お母様がたの心を動かす! と実感していたためです。
一年経っているとはいえ、”ほほえましい” などと言われるとおいやかもしれません
が、”好感や親しみを感じさせる” という意味のことです。
初めてのお子さんAちゃん母のお困り事は、どなたにとっても現在進行形のお困り事。
怒りん坊母になってしまいそうでイヤだし、叱らず悪い子に育ってしまったらと不安だし、叱ったところで効果はないようにも思うし―――。
初めてのお子さんはお世話の練習だと思って親切に手をかけること。
タイミングが後あとにならぬよう、先へ先へリズミカルにするのです。一心同体のようになって。
「大人が先にする」と言うと教師化した母たちは「何でも先にやってしまうと主体性がーーー」などとおっしゃり、「どうしたらいいのかな?」と子どもを促す、例のいわゆる教育的手段を行使するのです。
そして不安、不満な人間を育ててしまうのです。教育くさい不自然さを好きな幼児はいません。
幼児教育の肝腎、絶対的真理は「親切」なのです。親切にしていると意欲的になって、いろいろなことに興味を持ち、心も身体も頭も動かして、持って生まれた自らの力を使い、熱心に生活する子どもに育つのです。いつの間にか 知らずしらずに。
「家では困る事ばかりです。お片付けはしないし、お風呂はいやがるし、まだ寝ないと言うしーーー」困っているとおっしゃるお母様のお子さんの方が、幼稚園ではお友達とよく遊び、よく片付け、くたびれる程自分の力を使って生活するいい子なのです。
お子さんは、お家でたっぷりお母様に甘えて手こずらせ、お母様はご自身の頭と心と身体を使い、創意工夫する。そういう生活の中、母も子もお互い同士が相手を変え、だんだん育っていき、知らずしらず いつの間にかこんなに育っていた! という日が必ずやってくるのです。
年中さんは年少さんだった去年より、遊びのイメージもはっきりしてきて、よく動き体力を使うお歳です。
Aちゃんは幼稚園で持っている力を良い方向へ使い、一生懸命生活するいい子ですから、降園後お家に帰りついた時、うんとくたびれているに違いありません。後あとにならぬよう、うんと親切にしてほしいと思います。Aちゃん母のお手紙効果により、他人行儀のお母様がたのお心に、変化があるといいなと思います。
子育てには率直さ、飾り気がない ことが肝腎なのです。
お家で手のかかるお子さんと反対に、「うちの子は家では手がかからないいい子なんです」とおっしゃるお母様も。
以前 こんなことがありました。
お水が好きなお子さんは多いけれど、毎日毎日お庭の水道で遊び、お友達に水を浴びせかけ、自分も頭から水をかぶって感触に浸る三歳のお子さん。お母様にお伝えすると、「家ではいい子でそんなことはしません」と信じられないお母様。時間をかけお母様とやり取りするうちに、いわゆる教育的に子育てなさっているご家庭の様子が見えてきました。
その後だんだんとその傾向が緩和されつつあるものの、母と子の不安定は長く続きました。どうしても”言い聞かせ”がやめられないのです。
立派な人間に、というお母様のお気持ちはわかるのですが、逆効果なのです。
お子さんにお母様の望むようふるまってほしくて、”我が子のためというよりご自身のプライドのために” が心の奥底にあるのでは、と思ったのですが、そんなことは申し上げられません。
次のお子さんもまた、不安と不満。持って生まれた自分の力はあるのに、遊びたい気持ちが薄いのです。
運動会などの行事はお母様の評価の対象だったためか、お二人とも全くやろうとしません。「二番目はやるかなと思っていたのに」とお母様。そのうち三番目のお子さんが生まれて、大忙しになったお母様は以前と少し変わりました。口ばかりだったのが身体を使わなくてはならなくなり、自然に口数が減ったのでしょう。
お母様によると「いい子じゃない」という評価。ところが三番目のお子さんは、上のお二人と違い、幼稚園ではやりたいことがいっぱいのよく遊ぶいいお子さん。運動会ではお母様が見ていても最後まで楽しそうに走ったり踊ったりしました。
「今年はやりましたね」と申し上げると「あれ? そういえばそうだった! 忘れてた!」とお母様。今年は初めて無条件。「こうあってほしい」という教育的あれこれが、なかったことに気づいたのです。末っ子さんはそのままでかわいいのですね。
「”条件つきの愛情でなく、無条件でかわいがってほしい”と言われていたのはこういうことだったんだ」「そうそう」と、二人、嬉しさをかみしめたことでした。その後はお母様の他人行儀もなくなり、遅ればせながら上のお二人にも無条件お世話の効果がーーー!
「家ではいい子で手がかからない」というお子さんは、幼稚園では遊びたい気持ちが薄く、意欲が乏しいように思います。お友達と一緒でも、ただそこにいるだけ。
お家でお母様の評価を気にして 持って生まれた自分の力を使えず、やりたいことができずにいるのかもしれません。幼児はご家庭の空気で育ちますから、そういう生活を続けている間に、やりたいことがわからなくなってしまったのかもしれません。
お母様の数々の言葉がお子さんを型にはめてしまっているのかもしれません。
「家では手がかからない いい子」のお母様は、もしかすると教師化してしまって、母の味を味わわせることを忘れてしまっているのかもしれません。
先日の誕生会での音楽劇は「大きなだいこん」でした。お母様がたとのステージは、子ども達の大好きな遊びのひとつとなって、そこここで繰り広げられています。
誕生会後いただいた山の組のお母様からのお手紙に嬉しいことが。
「大きなだいこん」のおじいさんが困って、「だれかー!」とお手伝いを呼ぶ声に、我が子二人の「だれかー!」を思い出したとのこと。
お家でお母様と一緒の時も夢中になると、ついうっかり「だれかー!」と呼ばれるのですって。 お家に他のだれかはいないのに。
そういえば、幼稚園ではよく「だれかー!」が聞こえ、すると誰かがかけつける。
言わなくても誰かが気づいてくれる。そういう場面を見るそうです。「大きなだいこん」はまるで高階幼稚園のようで、 大好きになりました。と書いてくださっていました。
それで「ああ」、と感じ入ったこと。
「だれか」と呼ぶと来てくれる人は、いいかげんに遊んでいるわけではなく、 自分の遊びに一生懸命な人が、それを置いて来てくれる。今、手が離せないけど、ここまでやっちゃったらすぐ行くからね、という人も。
それは自由な時間が保証されているから。自由感を味わいながら生活しているから、自分で感じ考え判断することができるのです。自分で考えて使える時間がほんのわずかだったら、こんなに広く柔らかい心ではいられないでしょう。
大もとはお家の生活です。
山の組のお母様にも、お心を痛めることがありました。
子どもを変えることができる人は、ご自分が子どもとの関係の中で変わっていくことができる人なのです。
お母様が我が子と一緒にいることに幸せを感じるから、お子さんもお母様と一緒にいることの幸せを感じる。相手に与えるものと相手から与えられているものが、等しい価値を持っている。そう実感できる間柄がご家庭にあるから、お友達や先生と安定した信頼関係を築けるのです。
ご家庭と幼稚園のこの生活が、将来自分自身で築いていく豊かな人間関係の根本になるのだ。そう身に沁みて考え及んだことでした。
日に日に寒さがつのります。身体も心も縮こまりそうですが、身体が動くと心も動き、心が動くと身体も動きます。
あの誕生会を思い出し、生活のそこここ、ちょうどいい時に、歌やリズム遊びを工夫して使ってみたらどうでしょう。 夕暮れ時などの”ちょうどいい時” にも。お子さんのおヘソが曲がるちょっと前がその時です。曲がってしまってからではたいてい役に立ちません。その前。 “先へ先へ””先に先に” です。叱ることなどなくなりますよ。初冬の空気は冷たいけれど、母と子はあたたかく お互い同士を味わいたい12月、小春空の幼稚園ですーーー。
【司書の資格を取得した彩子先生から】
司書の資格取れました。くまちゃんぶんこは本当に貴重だと再確認しました。
高階幼稚園の保育があってこそだとも思いますがーーー。いいと思うことを書いてみますね。
<子どもにとって>
小さい頃から生活の中に絵本があることがいい。絵本に触れてこない子どもたちが増えているが、自分がどんなことが好きか知ることができない。
自分のことがわからなければ、相手の気持ちもわからない。 想像する力も育たず、人の話が理解できない。
<お母様にとって>
良い絵本・書籍に知識がある人がいて すぐに本のことを詳しく聞けることがいい。
最近は大人も本を読まない。本が、人の知的好奇心を育むために重要なものだという認識が薄くて、信頼性の不確かなネットから情報を得て、正しいかどうかわからないまま、わかった気になって満足してしまう。
でも教えてくれる、紹介してくれる存在がいれば、いい本と出逢える。今まで本と関わってこなかった人でも、自分にちょうどいい絵本がわかり そこから本と親しむことができる。
子どもが自分の興味関心を形にするための手助けをしてくれる保育者がいてこそ、更に、良質な本が集められた環境も生きてくる。いい本があって、いい本を紹介してくれるという所はたくさんあるが、それだけでは足りない。
高階幼稚園は、そこに毎日の一生懸命な楽しい生活の積み重ねがある。生活に、その時に、ちょうどいい知識のひも付けができること。
人間が自分らしく、生き生きと生きるためにいちばん大切な方法を、幼稚園の生活とくまちゃんぶんこは自然なこととして身につけられるよう助けてくれる。
☆伝わるかどうかわかりませんが、高階幼稚園は最高に恵まれた環境です。
くまちゃん文庫もそう。借りないのは損です! 良さを生かせていません!!
何度でも借りてほしいし、たくさん読んであげてほしいです!
