園だより(令和6年度10月)

走り続けていた夏のバトンが、ようやく秋の手に届いた。そんな風情の幼稚園ですが、お庭のあちこちにはもう秋の花々が咲き揃っています。ルリタテハの幼虫はホトトギス(ユリ科の多年草)の葉をムシャムシャ食べて大きくなりました。トゲのある小さな恐竜のようなこの姿が、あんなに美しい蝶に変わるのです。なんて不思議なのでしょう。ブルーベリの実は人間の子どもたちが完食。ザクロはまだ若く甘ずっぱかったけれど、お味見。カキも色づき始めました。クヌギの大粒どんぐりは、子どもたちの遊び仲間として活躍してくれています。

大人にはなんとなく物悲しい季節ですが、子どもたちにとっては明るい秋なのです。秋の自然幼稚園はたくさんのおもしろい教材を内包しているのですから。

10月というと話題は運動会。幼稚園という所は、毎日練習するものだと思われているらしく、「大変でしょう」と言われます。「行事が多くて大変でしょう」とも。幼稚園教諭になって50年近くなるのに「幼稚園」という教育施設への相も変わらない評定に情けなくなります。

もっと情けないのは「幼稚園は教育」「保育園(所)は保育」というあれです。「小学校のようにひとまとめに集め、全員先生の方を向いた形で行われる教育をする所が幼稚園」「伸び 伸び遊ばせる所が保育園」と、何とはなしに思い浮かべているのでしょう。そうではなく、幼児の教育を「保育」というのです。

世間は幼児に興味がないのです。自分も昔は幼児だったのだし、幼児の親になっているにもかかわらず。学識経験者の偉い先生がたでさえ、幼児教育の分野は不鮮明で「幼稚園の保育士」と平気で発言なさるし後の訂正もありません。職に就いて約50年ですが(高階幼稚園はもうすぐ70年)「幼稚園教諭」と正しい職名で呼ばれたことはありません。

少し前は「幼稚園の保母」でした。明治の頃は幼稚園も「保女」と呼ばれていました。女性の先生という意味なのだそうで、それもいいなあと思いますが、保育士というのは、2001年に保母の名称を改めたものなのです。(男性の名称と統一するためでしょう)厚生労働省所管、児童福祉法に基づき、保育に欠ける子どもを預かり、保育する、福祉施設に従事する職員のことです。「保育士なんていやだー!」と当時名称の変更を嘆く保母さんも多かったのです。(そんなに平等を貫くのなら母も父もやめて親に統一すればいいと!!)

幼稚園は文部科学省、学校教育法による学校の一つです。 幼稚園の歴史は古く、1840年ドイツの教育者フレーベルのキンダーガルテンから広がり、日本では1876年(明治9年)に現・お茶の水女子大学付属幼稚園が設立されました。幼児の遊びを大切にし、自発性、創造性、共感性を目指す幼児教育が、大切に受けつがれてきたのです。十把ひとからげの一斉保育ではなく。

そんな古くから連綿と続いてきた幼児教育なのですが、メディアが取り立てるのは何か特別な、例えば全員並んで飛び箱をしていたり百人一首を学んでいたりと、そういう場面ばかり。知の巨人といわれる外山滋比古会長先生のもと、保育の神様場合先生ご指導の、幼児教育研究会の研究生たちが(お花も)”広報活動”を決意。十把ひとからげの一斉保育でない、本当の幼児教育をTVで、と交渉したことがあったのですが、視聴率をかせげないからと断わられました。

それならばと台湾の研究生が「幼児の創造性を培う音楽リズム」を台湾のTVや新聞で紹介してくれました。台湾のメディアは、日本で何十年も続けてきていた夏休みの”リズム・オン・ステージの真価を、たった一度の “台湾オンステージ”で感じてくださったのです。高階幼稚園でも使っているあのお面や小道具大道具たちを携えての珍道中でしたが、台湾の研究生がどっと増えたことでした。

あの頃も保育所が足りないと言われていましたが、保育所を兼ねた幼稚園「認定こども園」がこれほど増えるとは思いも寄らないことでした。子どもの数はだんだん減るのですから、保育所を増設するより、幼稚園に補助金を出してまかなってもらおう、子どもの数が増えれば幼稚園の経営も楽になるのだから、ということだったのです。働く母親を増やし、女性からも税金を、というのが国の政策ですから。

「認定こども園」になり、働く母親のために、長時間預かりを始めた幼稚園が困ったこと。それは何でしょう。保育所と同じに誰でも受け入れなければならないことになったため、幼稚園の園風がなくなってしまった、とおっしゃる園長先生。母の手が足りず、不安・不満をかかえる子どもが増え、園全体が落ち着かない。先生たちも長時間勤務になってしまうため、担任が途中で交代するシフト制を導入せざるを得ない。皆で保育の話をする時間がない。担任としての責任感が薄れ、やりがいをなくした保育者たちがやめていく。という悪循環。子どもの数は増えたけれど、これで良かったとはとても思えない、とのこと。宗教を教育の宗とする園の園長先生からは、大勢に宗教を広めることができると考えれば、悪いことばかりではない、とのご意見もあるようです。

「幼稚園」と「保育所」そして「認定こども園」。先日、保育所のベテラン先生が立ち寄られ、こんなお話を。「母親たちに子どもを育てる気はない。ただ保育所という場所に置いていく。そのうちこの国は保育所育ちの大人ばかりになってしまう。不安と不満が基本で育ったその大人たちがこの国を回していくのだろうと思い責任を感じるが、かと言ってどうにもならない。育っていなくても仕方なくただ卒園させるだけ」。

時は待ってくれません。小さな幼児には”今”しかないのです。“今の経済”ばかり考えていると、近い将来、人のために働く大人はいなくなります。自分も手をかけ心をかけてもらっていないのですから。小学校の先生も難儀だそうですが、不安定な大人が増えますから、心療内科の先生たちが忙しさに悲鳴を上げることでしょう。

高階幼稚園の子どもたちは安心・安定した生活です。山の組の子どもたちは運動会があることを知っています。森の組の子どもたちはほとんどが運動会のことはわかっていません。山さんたちは「運動会に野球やりたい」のです。かけっこもりにも玉入れも、綱引きもオリンピックマーチもみんなやりたいので、野球が長引くと「そっちができなくなっちゃう」こともわかっているようです。でもなんとかして”運動会野球”を実現させようと、子どもたちと保育者たちとで工夫をこらしています。

ブログでもお伝えした野球ごっこ。ボールやバットやユニホームを作ってイメージを広げ、野球を知らなかったお友達も巻き込んで、ずっと続いているのです。始まりは年中男児。年中さんのAくんが一生けんめいなので、心やさしい年長さん が「ぼくたちも手伝ってあげよう」と、そういう雰囲気で始まった野球ごっこだったのです。小さい人達の場合、バットを作り、ボールはなしで、打ったつもりの野球ごっこをすることもあるのです。ボールはなくても、投げて似、打つ真似で、走って走ってホームベースに帰ってくるというごっこ。本当の投打は小さい人達には難しく、ボールがない方が、イメージの中で自由に打つことができますから。

でも”本当の野球ごっこ”がしたかったのですね。だから担任も工夫します。バットを太く、ボールを大きくする。待てない小さい人のために、ネクストバッターズサークルを作り、作ったボールをぶら下げておく。保育者は、ある時はピッチャーに。ある時はバッターやキャッチャーに、子どもの手となり足となり、子どもたちの意欲を形にするために奮闘します。ルールはもちろん子どもたちにちょうどいい幼稚園の特別ルールですが、子どもも先生も一生けんめいしているうちに、あろうことか、いつの間にか知らずしらずのうちに投打がかみ合うようにもなってきて、嬉しい達成感。

「サムライジャパン」や「アメリカライオンズ」などの球団も生まれ、得点表や応援団ができ、女児や森の組のうんと小さい人まで指名打者のようにやってくるようになりました。大きい人に促されずとも、順番にネクストバッターズサークルに行きます。山さんも森さんもなんと意欲的なのでしょう。自ら感じ考えているのです。

そういう空気の幼稚園で誕生会がありました。昔は毎月行っていましたが、今は隔月です。子どもたちの遊びの生活になるべく区切り”がないようにと考えたのです。行事と言えるものは運動会とおいもほりだけです。都市化のためか昔の子どもと違って、持って生まれた自分の力を使わずに育ってきたお子さんが多いため、自ら感じ考える主体的な遊びの生活を大切にしたいので。

誕生会のステージで音楽劇「シンデレラ」をしました。意地悪をされたシンデレラが泣く場面で、一生けんめい見ていた森さんの小さい女児Bちゃんが思わず涙ぐんでいて、驚きました。次の朝さっそく、「やりたい!やりたい!」と山さん森さんが一緒になって「シンデレラ」を始め、役を交代しながら何回も続いていたので、ブログのための写真を撮りに行ったお花。一緒に踊っていた森の小さいBちゃんがお花を見つけ、「だいじょうぶよ」「この時はこうするとだいじょうぶよ」と何度も言うのです。

何のことかなと後になって考え、もしかすると、と思いあたりました。 お花はシンデレラ役で、あの時悲しくて泣いていたから。なぐさめたり励ましたりしてくれていたのだと。そういえば Bちゃん、1学期に山さんたちと「白雪姫」の劇ごっこをして、小人たちが悲しくて泣く場面で本当にポロポロ泣いていたのだった!と思い出しました。

夢の世界に住んでいる3歳のBちゃんの真心があの時すぐにはわからなかったのですが、「だいじょうぶよ」のそのたびに「ありがとう」と丁寧に答えていたことを思い出し、胸をなで下ろしたことでした。Bちゃんの中には感じ考える心が立派に育っていたのです。

幼児にとって大切なのはいつもの日常。そのいつもの遊びの生活の中に、ひとつ“運動会”が増えたと、そういう日々を過ごし当日がやってきます。幼児の生活全体を運動会に向けて引っ張っていくことはしません。そんなことをしたら一人ひとりの心持ちはどうなるでしょう。今まで柔らかく広い心でやり取りしていたお友達どうしの関係も硬く狭くなってしまいます。イメージを共有し、共感しながら遊びを広げる生活に大きく影響してしまうのです。

運動会の肝腎は毎日の練習ではありません。自ら感じたり考えたりしながらの、満足した日常の中、子どもと保育者、子どもどうしに信頼関係が築かれていれば、それがいい運動会につながるのです。

小さい人たちにとっては、「終わってからが運動会」という様子ですが、「今日やったのが運動会なの?楽しかった、またやりたい」というのでそこから小さい人たちの運動会が始まるのです。何度も練習させられてやっと運動会が終わったら、大きい人も小さい人も、もう二度とやりたいと思わないでしょう。練習の残りカスのような運動会は運動会として失敗です。やるのなら、子どもたちにとってまたやりたい運動会でなければ。

子どもたちと共に生きていると、感じる心を育てることの大切さを痛感します。感じるから考える、考えるから判断できるようになるのです。自ら感じ考え判断することは生きる力そのものです。くどくどと言い聞かせたり教え込むことばかりしていると、いつの間にか、言われたことだけする受動的な子どもになっていきます。夢のない、知識中心の現実的な生活をしていると、覚えた知識を取り出して披露することが遊び、という子どもに育ってしまいます。 感じ考える子どもにはなりません。そしてそれが人生の基本になってしまうのです。

お母様との楽しいいつもの日常が感じる心のもと。母は子を、子は母を味わう生活が、お子さんの心を育てるのです。このごろちょっと薄味のお母様が多いかなと感じていますがーーー。

子育ては雑事ではありません。人間について深く考える、世界で最も主体的な仕事です。人間の基本を育てる母の仕事の重要さに早く気づかなければ。唯々諾々と世間の波に乗って、遠くまで流され漂流し、取り返しのつかないことになってしまう前に。

大切な我が子と自分自身のために、自ら感じ考え判断しながら生きられるといい、大人たちも。そう祈る10月、清秋の幼稚園ですーーー。