園だより(令和7年度7月)

 

暑い暑い夏がかけ足でやってきました。人間たちに同調して季節までもが急いたり焦ったりしてしまっているのかもしれません。武蔵野の夏が幼稚園の空を覆ってくれているおかげで、お庭の遊びの生活もあたりまえのように続けられます。木蔭の涼しさ。葉擦れの音、土や草や花の匂い、お庭の夏の果実の味、蝶や蛾や夏の虫たちの発見や追いかけっこなどが、子どもたちの五感に働きかける幼稚園のお庭。自然の教育力を感じる日々です。

人間たちの教育力はどうでしょう。

先日森の組で、こんなことがありました。仲良しさんになった嬉しい二人。嬉しくて楽しくて、互いに互いを独占したい、二人きりで遊びたい、というある日。「遊ぼうよー!一緒に遊ぼうよー!」の声がツリーハウスから聞こえてきました。

仲良しA、Bちゃん二人の遊びに、もう一人Cちゃんが加わりたいのです。Aちゃんは最近ちょっとおヘソが曲がり気味。どうなるかと見ていると、「Bちゃんと遊ぶからダメ!」。AちゃんはCちゃんを受け入れず、知らん顔でツリーハウスの階段をどんどん降りて行きます。BちゃんはAちゃんを追いかけます。Cちゃんを置き去りにして。かわいそうなCちゃん。

これまでも二人で遊ぶんだから他の人は「ダメ!」という場面はA、Bちゃんに何度かありました。こちゃんに限らず。保育者は、「あら大変!お口が曲がっちゃった」とか「かわいそうよ」「みんなお友達よ」などと短い言葉で言い言いしてきたのですが。Bちゃんの気持ちは動いても、Aちゃんの心には響きません。

それで、小さい人にはどうかなと思ったのですが、「他の人はダメ!」と言い張るAちゃんだけでなく、Bちゃんこちゃんのためにも心から言いました。「Aちゃん、いやよ、それ意地悪っていうのよ。意地悪さんになっちゃうわよ」と小さい人にあまりズバリとばかり言っていると、そういう人になってしまうし、お部屋もそういう空気になってしまいますから、あまり言いたくないのですが、「悪いわよ」と言うと小さい人には強過ぎるので「いやよ」「良くないことよ」などと言っているのですが。

その後、この日はA、B、Cちゃん三人で遊ぶ姿がありました。「仲良く遊んでえらいわね」と保育者は何度も褒めました。嬉しかったので心から。「意地悪さんになるのはいやだから知らん顔はやめよう」と、自ら感じ考えてくれたのならいいのですが。Aちゃんの”おヘソ”のことを考えると、ただただ自分を満たしたい、自分の心持ちを汲んでほしいのだろうと思い至ります。

保育者は、Aちゃんが良くないことをする前、いい時、先に褒めましょうと神経を集中させ、いいことを考えた時、優しい口調の時など、タイミングが後あとにならないよう、褒めたりお世話したり、Aちゃんへの関わりを入園当初のように戻しました。褒められていやな人はいませんから、Aちゃんは前向きに。Aちゃんがまちがっても、お友達に悪く思われないよう「本当はこうしようと思ったのよね」と良く取ってあげることを心がけながら。

それで、最近のAちゃんの様子を、お母様に率直にお伝えしました。お母様はお家での様子について、タイミングが後あとになるとどうしても叱らなくてはならない状況に。また、叱らずこと思うと、そのまま黙認してしまい、ごきょうだいのどちらかがうんとがまんしたり、逆にわがままが著しくなってしまう。どうしたらいいか困っていた、とのことでした。

タイミングが後あとにならないよう、朝、幼稚園に着いたらまずおまじないをしてみたらどうでしょう。お口がまちがわずいいことを考えてお友達と仲良く遊べるように。Aちゃんきっと嬉しいから。と提案してみたところ、Aちゃんのお母様の心が動いたのですね、きっと。

心が動くと身体が動きますから、お母様の手も自然と動き出し、Aちゃんの身体を一生けんめいさすり始めました。手は心。お母様の心を感じたAちゃんの嬉しそうなこと。”おまじないなんてどうやってするんですか”と聞いたり、おどけた感じで一応やってみるというようなお母様が多いのではと思っていたのですが、Aちゃんのお母様の飾り気のない人柄と真実性に保育者は感動したのでした。お母様の持つ真実性はお子さんの心に届きます。

その後、すぐにAちゃんBちゃんが遊び始め、Cちゃんが「遊ぼう」と近寄ったその時、「あらえらいわ、いやって言わないでいいお顔していて」と褒めることができました。褒められていやな人はいませんから、三人は仲良く遊び始めます。その後もいいお顔が続き、「えらいわ、仲良く遊んで!」と褒める場面がたくさんありました。三人とも嬉しそうです。「いこと考えて遊ぼう!」と。

教育はお互いと言いますが、お母様と担任の信頼関係が大きくお子さんに作用するのだと実感しました。率直にお伝えしたことを率直に受け取ってくださるからこそ、足踏みせず、停滞せず、保育の日常もお家の日常も、良い方向に動いて行くのです。

幼児の行動はそのお子さんの内面の表現。外側から見ただけで、ただただ叱っていると、大人の目がない所で良くないことをするようになります。「意地悪さんになるのはいやだからやめよう」と幼児自ら感じ考えなければ。お子さんがいつも安心、安定し、柔らかい心で生活していれば、感じる心が惜しみなく働きます。感じるから次に考える。考えるから次に判断できるようになるのです。森の組の肝腎は機嫌がいいということ。人生の基本、感情の使い方を学ぶ大切な時を今生きているのですから。

それから、理屈好きなお母様やお父様がよくなさる言い聞かせにこういうのがあります。「ダメッて言われたら、自分だっていやでしょう?自分がいやなことはお友達にもしないのよ」というあれです。これ、幼児にはわかりません。目をのぞき込んで言われると「ああ叱られちゃった」とそれだけです。頭は受け身、自ら感じたり考えたりできません。

そういうご注意が多いと、お子さんはただ大人の言葉を聞き流すようになります。「わかった?」と言われれば「わかった」とカラ返事です。「どうすればいいのかな?」など、わざとらしく促されているお子さんも同じです。幼児はわざとらしさを嫌います。

小さい人はお母様との間柄の安定がいちばん。無条件に惜しみなくかわいがってください。「ああ、子育てマチガッちゃった」と思った人もへこたれず、気を取り直して訂正しながら先へ進めばいいのです。

山の組では山や海や線路で、いろいろな生き物が生活しています。DちゃんEちゃんがさっき作った虫を戦わせています。これ以上やり合うと、せっかく作った虫が痛い思いをする、という所で声をかけようと思っていると、お庭から帰ってきたFちゃんが「戦わないんだよ」。

Dちゃんちゃんはその一言で戦いごっこをやめました。「ああそうよね、もっといいこと考えて遊んだ方がいいものね」と保育者。

もう山さんなんだもの。本当の虫は弱・肉強食だけれど、幼稚園の虫たちは平和に楽しく豊かな心で生活してほしいもの。少し大きくなってきたら、お家のごきょうだい同士も、おすもうごっこや戦いごっこをするでしょう。何でもかんでも「いけない」ではなく、やり方です。ここまではいいけれど、ここから先はいけないというその一線がなくてはと思います。首に手をかけたら「あ、お首はいやよ」お腹を押したら「あらあらお腹は大事よ」というように。

でも、今、世界では戦争をしている国があります。ニュースを見るたびに、破壊し破壊されている映像が。山さんは森さんの時から時折戦いごっこをしているけれど、もうたくさんしたのだから戦うのはなしにしましょうよとFちゃんのように言うべきだった。とFちゃんから教えてもらいました。戦うのではなく、いいことを考えて、もっとおもしろく遊ぶ工夫をしなければと。

けれど、やはりただただ戦いごっこをしたくなるような心持ちを、お家から背負ってやってくるお子さんもあります。ごきょうだいがあると、お若いお母様はきっと大変なのだろうな、と思ったりもします。夕方が近くなると、子も母もくたびれてきますから、ついつい叱ってしまう、叱られると心が固くなりますから、またつい叱られるようなことをしてしまう。母と子の夕方の悪循環。

夕方機嫌が悪くなって、いざこざやおふざけが多くなることがわかっているのだったら、することがあるでしょう。「この前」という時があるのですから。けんかせずに遊んでいたり、まだ頭が働いている時、先に褒めておくのです。通りすがりなどに。そうすると持ちます。「いいお顔している」「仲良く遊んでえらいわ」「いいこと考えたのね」などと心から。褒められていやな人はいませんから、心が前向きになります。

お母様も心と身体を動かして、へこたれず、ご自分の持っている力を使うのです。我が子とご自身のために。体調が良くない時、身体が使えない時には、言葉をリズミカルに。語尾を優しく丁寧に心がけるのです。ご自身の持つ創造性を生かし、夢のあることを言ってみたり歌ってみたりするのです。誕生会のいろいろがお役に立ちますよ。

そういうリズミカルな日常が押しも押されもしない母親に成長させてくれるのです。いつの間にか知らずしらずに———。

私ども保育者は、子どもたちがなるべく多く、なるべく徹底して持っている力を使い、自己実現しながら幼児時代を精一杯生きてほしいと願って、日々の保育を重ねています。そのためにも、お家の空気を明るくリズミカルに保ってほしいと願っているのです。安心・安定した心持ちで幼稚園に来てほしいのです。お子さんに「待ってて」と言う時、思い出してほしいのです。「待ってて!」と強く言ったら、待つ気になりません。「待っててね」と語尾くらい柔らかく優しくしたら、お子さんは嬉しい。きっと待っていてくれますよ。静かに待っていたら褒めてあげてくださいね。

お子さんはお母様がなさったように育つのです。日々の細ごまとしたいろいろに「どうしたら?」があったら、どうぞAちゃんのお母様のように飾らず率直にお聞きになりに来てください。こんなことを聞いたらおかしいだろうか、などとお思いにならないでください。育てる者の肝腎は、取るに足りないような、たわいなく思えるような所に潜んでいるのですから。

小さなことが明日につながります。私たちは子どもたちの明日を創っているのです。苦しいこともあるけれど、なんて楽しく、やりがいのあることだろうと思います。

一生けんめい生活していて気づいてみたら、もう一学期終了の月になっていました。Gちゃんにとって、一学期の生活はどうだったのだろう。Hちゃんには嬉しい変化が。Iちゃんには———。Jちゃんのお母様にとってはどうだったのだろう。Kちゃんのお母様には、Lちゃんのお母様には———。

子にも母にも、一学期が充実感でしめくくれるよう七夕の星たちに祈りたい、7月、緑陰の幼稚園です。