感じ考え 判断する生活

木曜の朝

迎える気持ちで一杯になって

子どもたちを待つ 幼稚園。

ダンゴムシも 子どもたちを待っている。

三輪車も 子ども達を待っている。

一人またひとり やってくる

幼稚園の朝。

つかまえたダンゴムシを

ダンゴムシマンションに 住まわせたい。

「あっ 出ちゃう出ちゃう!」

「あっ これならでないね!」

「ガラスみたいだね!」

静かな山の組。

三人は 三匹になるために一生けんめいだ。

以前は こういったTVの本は

非教育的に思えて 保育室に置かなかった。

けれど、今 子どもたちはこれらの本を

ヒーロー・ヒロインたちの図鑑として 扱っている。

どんなものでも 創造性を培うことに

つながればよいのだ。

保育者たちは

お部屋とお庭を 行ったり来たり。

子どもの遊びの生活を壊さず

その中に教育を入れて 指導している。

指導というと堅苦しいけれど

子ども一人ひとりが

感じ考え 判断しながらしながら生活し

持って生まれた 自分の力を

精一杯使うよう 援助するのだ。

後になり先になりしながら。

さっきからの鬼ごっこが かくれんぼになって

20数えて「もういいか~い?」

「もういいよ」が返ってこないと

もう20 数える。

灯台もと暗し。

やっと見つかった。

次の鬼が また20数える。

「みーつけた!」

「みーつけた!」

「みーつけた!」

「ぼくも入れて!オニやるよー!」

小さい人も オニになりたい。

「よーし みつけるぞー!」

「あっ みいつけた!」

「あー みつかっちゃった!」

また 灯台もと暗し。

今度も成功か。

あっ みつかっちゃった!

ここも みつかっちゃった!

あー みつかっちゃった!

ここならきっと みつからないぞ!

たかがかくれんぼ と

大人は思うかもしれないけれど

見つけたい 見つかりたいが

ちょうどよく遂行されなければ

こんなに長くは 続かない。

達成感が得られなければ

またやろうとは思わない。

幼児の遊びを 陰で支える

保育者のちょうど良さがあればこそだーーー。