保育の一日


残暑和らぐ 金曜日。

一人 また一人 やってくる 幼稚園の朝。


一人やってきた その時から

保育が始まる 幼稚園。

幼児の教育のことを

“保育”というのだけれど


教育を受けている などと思っている子どもは

誰もいない。

自分たちは ただただ いいことを考えて

一生けんめい遊んでいる と思っているのだ。


保育者たちは

自由な遊びを中心として 保育を展開し

子どもさながらの 遊びの生活を壊すことなく

その中に 教育を入れていく。

いつとはなしに いつでもしているのが

幼児の教育なのだから。


「さあやりましょう」と

子ども多数をひとまとめにし

割り振られたプログラムを与えるやり方は

幼児には 向かない。

持って生まれた子どもの力を


全て使って成長させるためには

子どもの外側に


知識をくっつけるのではなく

その子どもの中身を 育てなければならない。


それには 保育者も

一人ひとりの中身を しっかりと捉え

自らの機能を精一杯使って

生活しなければならない。


十把ひとからげの保育では

その子どもの内面を察することも

子どもと保育者が響きあうことも

できるはずがない。



子どもと保育者が 互いに信頼しあい

子どもたちは その間柄を心の根拠地として

お友達との関係を だんだんと広げ


深めていくのだ。

お友達と響きあいながら

建設的な生活を繰り広げ


やがて遊びも 広く深くなっていく。

お互い同士が 教育環境なのだ。

お友達も先生も。


3歳年少さんたちは

夢の世界に住んでいる。

年中さんになると

夢と現実を行ったり来たり。

年長さんたちは

現実の世界に 生き始める。


夢の世界に 足場を置きながら。


一人ひとり

あるいは 思いを共有するグループの

イメージを引き出したり広げたりしながら

それぞれの「こうしたい」を形にする手伝いを

保育者たちはしているのだ。

いろいろな素材を使いながら。

自分の思いを はっきりとした形に表すことは

子ども自ら どんなにおもしろく

どんなに嬉しいことだろう。

どの子どもも それぞれの熱心さで

達成に向かって 一生懸命なのだから。


保育者は

子どもたちに乗り移るようにして


保育の一日を 生きる。

保育者の一日は あっという間なのに

何日も生きたような長さを感じる。

入園してから今までの

子ども何人分もの今日を

共に生きているからに違いないと 思ったりする

夏のなごりの幼稚園ーーー。