
夏と秋の共演が大切りを迎えた途端、もう晩秋。
子どもたちの運動会ごっこもそろそろ終演のようですが、お母様がたの奮闘「イス取り」は再演が重ねられています。年長児たちが考えたルール「進行役のタンブリン係は前回の優勝者が務める」に応じて行なわれているため、もめることなく何回も続けられるのです。
子どもたちにとって、日常の遊びそのものが学び。保育者たちは、子どもさながらの遊びの生活に、教育を入れながらの日常。保育者たちも、その日常が自らの学びです。
こんなことがありました。
進行役のタンブリン係ですが、自信に満ちたお子さんAちゃんと、少し気遅れ気味のお子さんBちゃん。タンブリンの音が違います。Aちゃんの次の進行役、Bちゃんの打つタンブリンは、弱く、あまり響かないのです。イス取り選手たちはよーく聞いて行動していてえらいのですが、もう少し強い音が出ればと、大人であればきっと思う場面です。
保育者は待ちます。Bちゃんの手が、今までよりいい音を出した時を捉えようと。何度目かの後、偶然に「パン!」とはっきりした音が出ました。「あ、いい音!よく聞こえた!」と保育者。Bちゃんの表情がこれまでと変わり、そこから伸び伸び動き出しました。自らのタンブリンの音と響き合うかのように。
始めから「もっと大きな音で」とか「聞こえないから」などと声をかけてしまっていたら、Bちゃん、きっと受動的になって、自ら考えての進行役はできなかったと思います。「言われたからやる」という心持ちになりますから、終了後は「ああ、やっと終わった」でしょう。次への意欲にはつながりません。
大人は子どもを評価します。特に”先生”という人がそうです。このごろはお母様やお父様も”先生”していますから、ご自身の評価にそぐわない場合、言ってやらせます。「どうすればいいのかな?」などと口で子どもに考えさせるよう促し、しむける、いわゆる教育的なお母様も増えました。「どうすれば—」が有効なのは子どもと大人が同じ方向を向いている時のみ。
例えば観覧車やメリーゴーラウンドを回るように作りたい子ども。どうすればこの部分が回るかと一緒になって考えている時、そういう時大人がつぶやく言葉なら、子どもの頭は働きます。が、前述の「どうすれば…」のような教育的な不自然さを子どもはとても嫌います。大人の教育的意図がプンプン匂うからです。
特にお母様は、我が子に今すぐ良くなってほしいのですね。外側だけでもできているように見えれば安心なのでしょう。けれどそう見えても、次の安心にはつながらないのです。外側だけ繕っても、お子さんの中身は「言われたからやる」の受け身の連続。お子さん自らの力を使えなくしてしまっていることに今すぐ気づかなければ。お子さんが自らした時、たとえそれが偶然であっても”その時”褒めるのです。心から。心と心が響き合い、お子さんの中に眠っている意欲が引き出されるでしょう。
子どもたちが帰った後のしじまに、幼稚園の教諭たちは毎日考えます。ああ、あの時ああしたことはどうだったのだろうと。手は園庭のそこここ、子どもたちが遊んだ後の保育室を片付けながら、頭は明日の保育へと向かっています。担任たちも毎日成長しているのです。
ひと昔前は「この日」に限られていた園選びのご見学が、最近は頻繁にあります。夢中で保育している担任や子どもたちには、落ち着かずさぞかし迷惑なことだろうと謝りたいのですが、親御さんたちは、その日その時だけを切り取ってごらんになるため、「外遊びが多いんですね」。製作の手伝いをしていると、「自分でさせないのですか」。ただ遊んでいるだけに見えるらしく、「小学校へ行って大丈夫なんですか」。遊ぶ意欲のないお子さんこそ大丈夫じゃないのですが。
そこで50年近く話し続けてきたことをまたお伝えすることになります。
お花先生は今の親御さんがこの世に生を受ける前から幾度となく(気が遠くなるほど)心を込め、お伝えしているのですが。
メディアは幼児教育の真の中味を世の中に伝えることはしないし、親になってしまえば、自分が子どもだったことは忘れてしまいますから、しかたありません。ずいぶんシツレイなことをおっしゃるかたもあり、幼児教育は低く見積もらていることを実感します。大切なことは目に見えないのです。手をかけ心をかけて育てられ、よく遊び、自ら感じ考える、意欲に満ちた子ども。口ばかりかけ、促し、し向け、いわゆる教育的に育てられ、外側は立派でも受動的で中味が不安定な子ども。その人生を支えるのは幼児期で、その時間は短くやり直しはきかないのです。「大人であって子どものことがわかる」ということはなんと難しいことなのでしょう。
普通:大人は自分のたどってきた子ども時代に立ち返って考えることができずに、あくまで現在の蓄積された経験ずみの”大人の立場から、見たり考えたりします。既知からの形の目で全てのことを判断する大人ばかりですが、幼児は反対です。未知の世界を新鮮な驚きの目で見ているのです。大人は子どもから学んでほしいと思います。
高階幼稚園の園文庫「くまちゃんぶんこ」では、約70年分の蔵書6,000円程が子どもの夢の世界への水先案内をしています。書店から姿を消してしまった良書も、仲良く並んで母と子を待っているのです。
以前、「かがくのとも創刊号の復刻版が出ましたよ、お届けしましょうか」とこどものとも社さんからご連絡があったのですが、初版から全刊あるのです。とも社さんの絵本好き社員さんは、くまちゃんぶんこにびっくり。「この本ぼく知らなかった。これもこれも。あ、これ、好きだったなあ!」とついついお仕事を忘れ、子ども時代の自分になって、絵本の世界に浸ってしまっていました。人形劇サークル「こぐま座」も、このくまちゃんぶんこが出発点なのです。
子どもたちのための絵本のお部屋ですが、お母様がたが子ども”心”を取り戻すためのお部屋でもあるのです。幼児の世界では、夢と現実の間に境界線はありません。年少さんのお歳の人は夢の世界に住んでいます。年中さんになると、夢と現実の世界を行ったり来たり。年長さんたちは現実の世界に住み始めますが、実家は夢の世界なのです。
絵本の主人公は誰がいいのでしょう。幼児は動物が好きです。実際見たことがなくてもです。なぜ動物が好きか。「子どもは、大人たちの中に入っていくよりも、ずっとずっと動物の中に入っていくほうが安心がいくのだ」と児童文学者のルネ・ギョーが答えてくれています。
動物の次には人間の子どもです。自分と同じ年ごろの子どもが主人公で失敗や成功をするお話。そこに親や祖父母がからんでくるもの。
人間の物語の次には、乗り物やおもちゃです。おもちゃのほうは生きているとは言い難いのですが、乗り物と同じように子どもたちには生きて動いています。感情移入の強い子どもたちにとって、乗り物も人形も、人格をそなえているのです。これらの主人公がいろいろにからみ合って、子どもたちの魂を揺り動かします。良い絵は、物事の微妙な感じを捉える心の働き、センスや良識の土台を育んでくれるのです。
保育室の本棚にも絵本があります。「先生、これ読んで」と持ってきた一人に読んでいると、おままごとのお友達が数人集まってきます。近くの机で製作している子どもたちは、手はそれを続けながら、絵本を見たり聞いたり、向こうの積み木の子どもたちは聞きながら遊びを続けています。保育室の絵本の読み聞かせ情景はこんなふうです。
お帰りの仕度が済んだしっとりとした時間に、皆が集まって絵本を楽しむこともあります。
先日、山の組で「生方久功(ひじかたひさかつ)作、ぶたぶたくんのおかいもの」を読みました。リアルなこぶたが主人公のこの本は、お母様好みのかわいい絵ではないためか、くまちゃんぶんこの本棚で誰にも借りられずにいつもおとなしくしています。
登場人物たちの善意あふれる素朴なこの本は子どもたちの心を思いきり揺り動かしてくれるのですが、主人公は子どもの仲間の動物です。
こぶたのぶたぶたくんは、お母さんに黄色いリボンを結んでもらって、ひとりでお買物に出かけます。歩き歩き道を行くといろんな人や仲間に出会い、嬉しくなったり心配になったりしながら、今度は教えてもらった帰り道を歩きます。すると向うのほうにうちがひとつ小さく見えてきて、お母さんのような人が出てきてあっちを見たりこっちを見たりしました。そう、お母さんだったのです。ぶたぶたくんはかけだしてお母さんにかじりつきます。「かあさん」と言いながら―――。
「出かけて行って帰ってくる」というお話が、子どもたちの心を引きつけます。お母さんのお膝を離れ、様々な冒険をし、成長して帰ってくる主人公と同化し、豊かな経験を自分のものにできるのですもの。
子どもは「いつでも今」を生きています。良い絵本の絵は、「いつでも今」を画面いっぱいに繰り広げつつ、その奥底のところに、「つぎは、あそこ」を用意しています。子どもたちは知らずしらずその「つぎはあそこ」に飛んでいこうとするのです。
大人になり親になったお母様がたも、少し昔はそういう子どもだったのですよ。こぶたのぶたぶたくんだったのです。不思議なことに今はあっちを見たりこっちを見たりして我が子を思うお母さんなのですが。
この絵本を閉じ、「さようなら」をした後のテラスで子どもたちが大勢大好きなお母さんにかじりつきます。幼稚園で精一杯遊んだ充実感を胸に、まるでぶたぶたくんのように嬉しそうに―――!
「大人であって子どものことがわかる」ためにも、どうぞお子さんと一緒に絵本の世界を楽しんでほしいと思います。良い絵本は、うそ偽りのない大人の目でうそ偽りのない子どもの心が描かれていますから。
秋が深まり、夕方が早くやってくると、幼児たちはなんとなく心寂しくなったり、機嫌が悪くなったりします。ごきょうだいがあればちょっとしたことでトラブルに。お母様はお夕飯の支度でお忙しい時間に「やれやれれまたか」の悪循環。そうなることがわかっていたら「そうなる前」に絵本を一冊読んでみたらどうでしょう。
薄暗くなっての一冊は魔法の領域。お母様の声も明るい時とはうんと違って響き、心に沁みます。良い循環が生まれるきっかけになるかもしれません。母と子の間に木枯らしが吹き荒れることのないよう、絵本の世界の力を借りたい11月、秋深む幼稚園です―――。
参考 瀬田貞二・渡辺茂男共著「絵本と読書」福音館書店
