園だより(令和7年度10月)

まどみちお詩集に載っている「たまいれ」。

『たまいれ』

たった 一ど
はいったた まを
こころがなんども おもいだす
五ども 十ども
はいったみたい

もうすぐ運動会ですが、高階幼稚園では特別な練習をさせ、子どもの生活全体を運動会に向けていく、ということはしません。いつもの遊びにひとつ”運動会”が増えた、という生活です。

大きい人たちは運動会のおもしろさを知っていますから、当日の空を飾る旗を作ったり、涼しくなったお庭を思いきり走ったり、大好きなオリンピックマーチをしながら楽しみに待っています。小さい人たちは運動会が何なのかわかりません。大きい人たちや保育者たちを見たり、真似をしたりしながら当日を迎えます。それがいいのです。終了後、「今日のあれが運動会なの?おもしろかった、またやりたい」とそういうのがいいのです。

玉入れもはじめからルールの説明などしません。カゴもひとつひとつ入って嬉しい!から始まります。偶然入った嬉しさを心が何度も思い出すから。

そのうち、ただ投げるだけでなく、あのカゴをねらって入れようと考えます。力を加減したり、自分なりに工夫を始めるのです。なかなか入らなくてもそのうちまたひとつ入ります。その後失投が続いてもさっきの嬉しさが集中力の後押しをします。

いいなあ、心があって。よかったなあ、心がしっかり動いて。と思います。心が動くと身体が動き、身体が動くと心が動くのですから。

小さい人にも大きい人にもお家の日常があります。

いろいろなことがありながらも安心・安定しているお子さんが多いですが、そうでないお子さんもいます。なぜでしょう。

お若いお母様やお父様にとってみれば、初めての子育ては”練習”。今は死語ですが昔は総領の”総領の甚六(そうりょうのじんろく)”という、ご長男をあざける言葉がありました。最初の子は次の子の練習台だから、ちょっとばかり育ちが足りない、というような意味合いなのです。一人目で練習してコツをつかみ、次からは上手になる、というわけなのでしょう。

最近の甚六甚子さんたちは、育児本やネットに溢れる”目を見て言い聞かせる言葉多用子育て”に蝕まれてしまっています。身体を使いたくない母が増えたのかもしれません。

うんと小さい頃から知識や理屈の日常を過ごしていますから、3歳児(4/2から翌年4/1の間に4歳になる子ども)の肝腎、「柔らかく広い心」を培うことの難しさを日々感じています。

心は頭です。小学校にはこの3歳児の教育目標を達成できないまま身体だけ大きくなった子どもが大勢いるとのことですが、言葉ばかりかけられ、手をかけられていないのかもしれません。親切に手をかけることは心をかけることなのですが。

先日の育ての会でも申しましたが、夢の世界に住んでいる小さい人たちは、良いことも良くないこともよくわかりませんし、お友達の使っているものが欲しくなったりもします。遊びの生活を繰り広げる中で、お友達同士いろいろなもめごとが起こります。小さい人たちの担任は、「あらあら!」とか「あら大変!」と言った時はもう身体が動いて、間に合ったり、間に合わずとも、事のなりゆきが悪い方向に進むことのないよう努めます。小さい頃からけんかばかりさせているとそういう人になってしまうからです。

小さい人の担任は「いやよ」とか「いやいや」とは言いますが、目を見てくどくど言い聞かせたりはしません。そこにいる小さいお友達同士の心(頭)が動くように心と身体を使います。そして短い言葉で「お手々がうっかりまちがっちゃったのね」とか「ぶつつもりはなかったのよね」「お口がまちがっちゃったのね」などと良い方向に受け取ってあげたりもします。相手のお子さんも「ああそうだったのか」と許してくれます。広い心で。小さい人たちの良いところです。

おこりんぼの人には「おこらないおこらないのよ」と声をかけるのですが「おこりたくなっちゃったら言いにいらっしゃいね」と言っておくと、本当に言いに来ます。「おこりたくなっちゃった」と。

叱る時はあっさりと、褒めるは目を見てたっぷりと、がコツです。良くない時、目をのぞき込まれ、何か教育的なことを言われれば「ああ叱られちゃった」とそれだけが残ります。自ら感じたり考えたりはできません。

「あら大変!」と積み木やおままごとや砂場の工事を直したり、泣いてしまった相手のお子さんの涙をふきながら、保育者が心から言う「ごめんなさい」だったら、やっちゃった人はそれを見ながら何か感じるでしょう。謝らせるのでなく、保育者が子どもに成り代わって言うのです。うんと小さい時は「あれ?」くらいかもしれないけれど、そのうちだんだん「悪かったのかな?」「ああ、いけないことをしちゃったんだな」「もうやめよう」と自ら感じ考えるようになっていきます。

まちがっていたお子さんがまちがわなくなり、良い方向に力を使うようになったら、保育者は嬉しくて嬉しくて心から褒めます。手をかけ心をかけ本気で保育しているのですから。同じお部屋、同じお庭にいるお友達が、こういうやり取りを目の前に、感じ考え心を動かすことも大切な教育です。”悪い子はいないのです。〇ちゃんはいい子なんだけれど、お手々や足や口がまちがってしまったのですもの。

お子さんの目をしっかりと見て説明したり言い聞かせている姿は教育的に見えますが、お子さんの頭(心)は受け身になり動きません。「わかった?」と問われれば「わかった」とは言いますが、本当にはわかりません。自分で感じ考える余地がないのですから。

そういう育て方をしていると、いつまでたっても、大きい人になっても、自ら感じ、考え、判断することのできない子どもに育ってしまいます。お母様やお父様に教えられた数々の言葉の中から取り出し、その場に合った言葉を並べたりして、しっかりしているように見えますが、中身は幼く、アンバランスです。幼児には必要ない知識を次から次に教え込まれますから、その知識を取り出し、お友達の気持ちにかまわず、ルールを強要したりもします。

年長児になってしまうと柔らかい心、広い心を培うことは難しい。保育者たちは日々機会をとらえて一生懸命なのですが、すでに遅きに失したという感が否めないのです。「あらあら」とか「まちがっちゃった」ではない、現実の世界に生きるようになった年長児には、それこそズバリど言葉で言わなければならなくなります。本人のため、共に生活するお友達のために。「〇ちゃん、それ意地悪よ」と。「◯ちゃんずるいわよ」と。

小さい頃からズバリズバリ言ってばかりいると、そうい一人になってしまいます。柔らかく広い心のために、「あらあら」で次第しだいに自ら感じ考える心を育もうとしていたのですが、もうそういう事では役に立たず間に合わないお歳なのです。

たったーどはいった玉を何度も思い出すような、たくましく満ちた心。小さい頃からお母様に、手の代わりにたくさんの言い聞かせや説明を受けてきたお子さんたちの心は、そんなふうではありません。たくさんの言葉により、自分で感じ考える余地はないのですから、いつもお母様の言葉を借りての生活です。

当然いつも不安で不満です。玉入れだって失敗はいやだからと尻込みしたくなります。ひとつ入ったのにひとつしか入らないとつまらなくなったり、ふざけながらやみくもに投げたり。お友達の失敗をとがめたり。良かれと思い続けてきたお母様の一生懸命が、予想と逆になってしまっているかもしれません。”言葉”は説明したり言い聞かせたりするためでなく、夢のあることを言うために使ってほしいと思います。幼児の世界のお風呂につかるようにして。

子育て練習中のお母様のために「育ての会」を続けています。その中で語られたいと答えをわかり易くまとめた「子育て救急」をご存知ですか。いろいろな生活場面でのお子さんとのかかわり方の詳細を載せているのでお勧めします。きっとお役に立ちますよ。
参照:子育て救急(←タップして開く)

先日、11時を過ぎる頃、森の組のうんと小さい人、Cちゃんが、ママに会いたくなりました。

用意してあったママの味の小さなおむすびをテラスで食べさせていると、少し大きくなった森さんA、Bちゃんが「先生これ描いて」とやって来ました。本を持って。

担任がおむすびを小さい森さんCちゃんに渡してその場を離れようとすると、少し大きくなった森さんAちゃんが黙っておむすびを受け取り、先生がしていたように、小さい森さんCちゃんのお口に持っていったのです。次に先に描いてもらった、もう一人、Bちゃんがやって来て、おむすび役を交代し、前おむすび役Aちゃんは担任の机へ移動。描いてもらう番です。描き終えた担任はテラスのおむすび役Bちゃんとチェンジし、またさっきと同じになりました。A、Bちゃんは黙々と製作です。

この一部始終が黙ったままあたり前のように行なわれていたのです。こんなに小さい人たちが感じ考え判断している。いつの間にかこんなに育ってきていたのだと、胸が熱くなったことでした。

いつとはなしにいつでもしているのが幼児の教育。いろいろなできごとが渾然一体となって、一人ひとりを、一人ひとりが集まった集団を育てています。”運動会”といえば毎日練習して臨むものと世の人達はおっしゃいますが、幼児の世界は違うのです。

ご家庭と幼稚園が、同じ心で子どもたちを支えることから始まります。今その年齢としての力を精一杯使い、子どもたちが今日一日を生き生きと生きられるように。そういう日々が積み重なって、いい日常に、いい運動会につながるのです。

子どもたちも保育者たちも、いつも心と身体を使い生活しているため、運動会などしなくてもいいとも思うのですが、やるからには楽しくおもしろく、終了後も子どもたちの生活を潤すような運動会ができたらいい。お母様がたも心と身体を動かして気取らず率直に子育ての話ができるといい。具合が悪くて身体が使えないかたは語尾をやさしく丁寧にできたらいい。そう願う10月、澄む秋空の幼稚園です———。