うっかりの意味

月曜日の朝。

お休み明けの幼稚園。

金曜日の一安心は マチガイだったように

「ママと一緒」を言い張る我が子と

胸が波立つ母。

幼児にとって 母が全ての基本。

唯一無二の安全基地なのだから

「ママ!ママ!」と 泣きべそをかいてもいいのだ。

でも いつの間にか知らずしらずに

遊びたい気持ちが

ママに会いたい気持ちを

ちょっとだけ 超える。

子どもはえらい。

お友達や先生

幼稚園の環境に 心が動かされるのだ。

心が動くと 身体が動く。

身体が動くと 心もおもしろくなって

ちょっと 遊びたくなる。

そして もっと遊びたくなる。

そして

ママに会いたい気持ちを

うっかり 忘れてしまえるのだ。

小さな幼児たちは 最もいい意味で

始終うっかりしているから

私ども保育者たちは

小さな子どもたちの 気をそらすことができる。

“気をそらす”などということは

きっと どんな育児書にも 書かれていない。

けれど

子どもにとっても 大人にとっても

効験あらたかなのだ。

育児書によくある

「子どもの目を見て 言い聞かせる」などというのは

机上の空論だ。

小さな幼児は

始終うっかりしているからこそ 育つ。

始終言い聞かされて

子どもの頭を

知識や理屈で イッパイにしてしまったら

我を忘れるほど 熱中して

遊ぶことなどできないだろう。

子どもにとって 遊ぶことは生きること。

限りある幼児時代を 思いきり生きられるよう

お母様は 暖かく穏やかな

春の日差しのようであってほしいーーー。