言葉の功罪

雨の木曜日。

「雨だから お部屋で仲良く遊びましょうね」と先生。

空間に向かって歌うように言っても 子どもは聞いている。

いつも言葉を大切に 丁寧に使っているからだ。

マシンガンのように言葉が発射される

口をお持ちのお母様は

我が子を注意散漫にしがちだ。気をつけよう。

幼稚園の生活。

例えば ごっこ遊びに必要なお面づくりにも

段取りや心遣いがある。

早速出来上がったポケモンさんの はやしがめ。

自分で考えた色で チェリムも。きちんと下敷きを敷いている。

お隣では アブリボンの触角につけるお飾り。

お面を塗り終え 下敷きを所定の場所へ戻す。

使い終えたハサミも 所定の場所へ。

新入園児には まだハサミは危ないので

届かない所へ置くのだ。

髪飾りの真ん中を先生にくりぬいてもらい 満足。

待ってくれていたお友達と アブリボンに変身。

ここがポケモンたちのお家だ。

そろそろ出来上がるチェリム。

切り屑は 近くにあるカゴへ。まだ使える切れ端は 後で使う。

取るに足りないように思える日常が 幼児にとっての教育だ。

保育者に言われてしているのではない。

言われたことでは身につかない。

具体的にお世話をしてもらうから

心を働かせ 自らするようになる。

心は頭だ。

心を働かせることは 頭を働かせること。

一人ひとりを見つめる この保育だからこそ

細やかな一つひとつが 身になっていく。

子どもと共にいる育てる者たちの 肝腎。

それは 言葉だ。

言い過ぎて 子どもの頭を受け身にしてはならない。

教えようとして

子どもが感じたり考えたりする機会を

奪ってしまうのが大人だ。

けれど、言わなくてはいけないことを

言わないのも大人だ。

子どもの世界のお風呂に

肩までつかるようにして

夢のある言葉で生活しよう。

ある時はお友達のように。

ある時は召使いのように。

ある時は父親のように

それでいて 優しいお母さんで。

自分を使い分けるのだ。

子育ては なんと哲学的なのだろうーーー!