“遊び”を”学び”にするために

とうとうやってきた 春3月。

保育終了の月を迎えた

大きい山さんたちの朝。

幼稚園での生活が あとわずかだということを

知ってか知らずか

遊びに打ち込む 子どもたち。

自分の頭の中にあるイメージを

しっかりと表現できる

よく動く手があって

どんなに嬉しいだろう。

よく動く手があると

心もよく動く。

よく動く心は

よく動く頭だ。

よく動く頭があると

身体もよく動き

よく動く身体は

よく動く手を育てる。

よく動く手の持ち主は

よく遊ぶ子どもだ。

幼児の遊びが 学びだというのは遊ぶことにより 心が頭が身体が

まんべんなく使われ

その人間の能力を育てるからだ。

いわゆる 教育的な大人は

子どもに 正しい知識や技能を覚えさせることが

教育だと 思っている。

そうではないのだ。

子どもは 大人から見れば

一見無駄と思えるような 経路をたどりながら

遊びの世界で

自分の持つ機能を使う。

自分の機能を使っているうちに

様々な経験を 自ら整理し

原理やルールを発見する力を 獲得していく。

この能力こそが これからの学習に必要なのだし

自律的に生きていくための 力になるのだ。

幼児期の 一見非効率的に見える遊びが

これから先の学習に 力を発揮する。

幼児期に 知識の教え込みをすることは

これから先の学習に 少しもプラスにならない。

それどころか

大切な 幼児としての学びの時間を

奪ってしまうのだ。

保育者の役割として 最も大切なこと。

教育者であると同時に

子どもの目で ものを見ることができなくては。

そして

子どもの主体性を出発に

遊びの中に 教育的営みが組み込まれなければ。

教育的営みとは どんなものか。

保育者は“上から命令する人”ではなく

“子どもと共にある人”だけれど

子どもの側にいて 脇役に徹する人ではない。

それでは“放任”に近い。

遊びの生活を崩さないで その中に教育を入れていく。

遊びの中で一人ひとりに指導するのだ。

幼稚園の朝は 一人ひとりが 機嫌よく

遊ぶ気満々になって 来てほしい。

お家では母の味を

幼稚園では幼稚園の味を

思いきり味わわせよう。

それが我が子とお友達の 自己充実に繋がるのだからーーー。