今、自分が幼児だったら

一人やって来たその時から 保育が始まる幼稚園の

木曜日の朝。

もう夢中になっている 森さんたち。

おままごとの水道が

線路で活躍している。

洗車するのかな。

お母様に手をかけていただいている子どもは

朝から 機嫌がよい。

手際よいお母様の 身体のリズムが

子どもに伝わって

子どもの心と頭と身体が

リズミカルに動くからだ。

リズミカルな子ども同士が 響きあうから

心と頭と身体がますます働き

いいことを考えて 遊びが始まる。

今自分が幼児だったらと

真摯に考えたことがあるだろうか。

幼児にとって“手は心”。

自分を可愛がってくれる“手”の存在が

あるのとないのとの 心の状態の違いに

きっと 思い至る。

口で言ってやらせることで 幼児が育つなら

なんとカンタンなことか。

情報過多の時代を生きる お母様たちには

心豊かな子育てが 難しい。

まるで 学校の先生のように

言ってやらせることが 教育と思われているからだ。

“身体”より“口”を使う方が

高度のような気がするのだろう。

幼児には“口”より“手”が ものをいうのだが。

山の組のお人形ごっこは

細やかに続いている。

お母様との 日常生活の再現であったり

幼稚園の生活を

自分のタオル人形に 再体験させていたりして

興味深い。

幼稚園の保育者たちは

ある時は 子どものお母さんのように

ある時は お父さんのように

お友達のように 召し使いのように

それでいて先生で…という存在。

お母様や保育者との関係性も

この人形遊びに 投影されているのだ。

もうすぐ学校という 喜びも不安も

お母様手作りの タオル人形が

受け止めてくれているのだろう と感じる。

もうすぐお弁当 という時間になって

森さんRちゃんの 人形劇が始まった。

午前中の遊びの 集大成なのだ。

お手伝いのYちゃんが

Rちゃんの勢いに引き込まれ

お客様たちも 引き込まれている。

すごい引力だ。

「もっとやって!」「もっと見る!」

お弁当 少し遅れてもいいものね。

響きあい 高めあう

春きざす 幼稚園ーーー。