創造性を培うごっこ遊び

雨上がりの園庭に顔を出した 小さなアイリス。

アイリスは ギリシャ神話の虹の女神。

朝の三輪車。

「足が弱いから」と言いながらも

こんなにしっかり漕げるようになっている。

そんなこと教えられなければ 足のことなんか気づかずに

大きくなれたのにと思う。

子どもはいい意味で 始終うっかりしている存在なのだから。

子どもは 高みをめざすものだ。

山の組♪白雪姫の 劇ごっこだって

本当のステージのように やりたい。

お友達の表現力に 心が動く。

心が動くと 身体が動く。

身体が動くと もっと心が動く。

自分たちの力で

この音楽劇を もっともっといいものにしよう という

意欲が漲る。

いつの間にか 知らずしらずに

お友達と心を一つにして

同じ目的に向かって 力を合わせることが

できるようになっていたのだなあ!

みんななんていいお顔をしているのだろう。

“教育はお互い”なのだ。

一人ひとりが教育環境だと

いつも言っているけれど

お互い同士が高め合う

“建設的な集団“そのものだ。

こういう場面を 外から見た場合

大人たちは 必ずこう言う。

「発表会の練習ですか?」

これは やらされてやっているわけでなく

自主性が育っている子どもたちの

誇り高き ごっこ遊びなのだ。

高みを目指す子どもたちが 楽しみにしていること。

それは“お客様”だ。

お母様をお客様にして

二階ホールで “オン・ステージ”をしたい。

そういう意味で言えば

発表会のための練習のつもりになって

練習ごっこをしている子どもも きっといる。

これは 主体的な遊びなのだ。

自由な生活を続けていると

皆で 一つになることなんて

永久にないような印象を受けるらしい。

自主的な生活は 一人ひとりが際立つため

一人ひとりの中身を育てることができるのだ。

一人ひとりが育てば

皆集まった時 皆育っている。

子どもは遊ぶ存在だ。

人間だけじゃなく 動物の子どもも遊ぶ。

遊んで遊んで

心も頭も身体も 精一杯使って遊んで

遊ぶ前と遊んだ後とで

違う人間になっていた!と そのくらい遊んで

成長していくのが 子どもだ。

成長するために遊ぼう なんて

子どもは少しも 思っていないけれど

子どもはいつだって 高みを目指したい。

その原動力は 母と子の絆だ。

絆の太さが 子どもも母も育てる。

お庭の小さい人たちは

おもしろかった 昨日の続きの

バーベキューごっこで

お魚を 釣ったり焼いたり。

釣り竿は モッコウバラのつるだ。

赤い実は デザートになる。

日陰ガーデンには ふきのとうも。

これも焼いて食べるのだ。

静かなお部屋で 熱中の

相棒たち。

ツリーハウスでは

「Yくん 王子様ね、あたしお姫様」

女児の心の中には きっと

あの 白雪姫の曲が流れている。

Yくんは「うん いいよ」と言ってくれ

お話の世界の小さなごっこ遊びが 始まるーーー。