母の不安が子の不安に

雨上がりの青空が 眩しい。

月曜日の幼稚園。

こまの研究所が続く

山の組。

この坂道は あの夏の日の

流しそうめんの時にも使われた。

よく滑るので

スピードが出て おもしろい。

子どもたちの工夫の跡が

至る所に 顔を出す。

「いいこと考えて 一生けんめい遊ぶのよ」と

先生に いつも言われているけれど

本当に よく考えている。

森の組さんたちも

いいことを考えて 遊び始めている。

高階幼稚園の子どもたちは

先生から 指示されなくても

自分で 自分達で

思いや考えを 形に表そうとする。

保育者たちは

子どもたちの手の代わりになったり

足りない言葉を 代りに言ったりしながら

子どもたちの思いや考えを

はっきりとした形に現す 手伝いをする。

イメージを引き出したり

広げたり 深めたりするのだ。

子どもたちは 一人ひとり

違う人間だから

いろいろな感じ方、考え方をするけれど

安心・安定している子どもたちの集団は

建設的だ。

自分のことばかりでなく

お友達の思いを受け止め

譲ったり 譲ってもらったり

お互い同士が高めあう。

子どもたちの安心・安定は

お母様たちの安心・安定と

深く繋がっている。

お母様の子育てが

不安に満ちているものだったら

お子さんの安定は 望めない。

子どもは 心の不安を何とかしようとして

泣いたり怒ったり いろいろな手段を講じる。

保育者や友達の 気を

自分のほうへ向けようとするのだ。

手をかけることは 心をかけること。

保育者たちは 手をかけ心をかけ

子どもたちの安心・安定のため 努力する。

子どもはいつの間にか 意欲的になり

正しい方向へ 自分の力を使うようになる。

我が子に良い変化を感じ

お母様も心を動かし

ああそうだったのかと 自分自身を変える。

子も母も 安定した新しい自分になるのだ。

そして誰もが 安定したやわらかい心持の子どもに。

建設的な友達関係は

保育者たちと母たちの 目に見えない努力によってつくられる。

幼児教育は 精神的な教育でもある。

外側に 知識だけ上乗せするような

一斉の早期教育では

子どもの中身は 育たない。 ーーー