お花たちが
近づく春を告げている、
幼稚園の朝。
作り物に忙しい
海の組の子どもたち。
立体的ないろいろを
自らの手で作り出す子ども。
遊ぶために作っているのだ。
小さかった時は、
ただ ただ、大きなものに
魅力を感じていたのだけれど、
遊ぶために
だんだんと小型化して、
車やバイクが
こんなになった。
イルカの親子。
アザラシの…、
あら。後ろにもお顔がある。
ああ、それで作り直しているのね。
ここでも、あそこでも、
遊ぶために作っている。
国旗カードのグループの
熱中。
川の組も、
もっとおもしろく遊ぶために
作っているのだ。
作っては遊び、
遊んでは作る。
もっとおもしろく遊ぶために。
お父さんたちは、
今お仕事している。
お父さんたちは
ツリーハウスに住んでいる。
赤ちゃんたちは
今お風呂に入っている。
お母さんたちは、赤ちゃんに
おっぱいをあげている。
お仕事を終えたお父さんたちが
帰ってきた。
「ただいまぁ!」
池の組でも作っている。
遊ぶために作っている。
先生は
子どものイメージを
引き出したり広げたりする。
子どもは、
イメージしたものに近づけるために、
いっしょうけんめいやりとりする。
お友だちも、
自分のことだけでなく
お友だちと先生のやりとりから
いろいろ学ぶ。
同じお部屋で
違う遊びが
繰り広げられていることの よさだ。
子どもたちは
学ぼうなどと思わずに、
心と身体と頭を使って、
いつのまにか
成長している。
とってつけたような
わざとらしい幼児教育でなく、
あたりまえの日常の中で、
知らず識らず
いつのまにか
育っていく子どもたち。
その、
取るに足りないように思える
一人ひとりの日常を 豊かに、
その中身を広げたり
深めたりするのが、
育てる者としての
大人たちだ。
いつとはなしに
いつでもしているのが
幼児教育なのだから―――。