園だより(令和8年度7月)

お庭の夏木がつくり出す、濃い木陰が嬉しい季節になりました。夏空に雲の峰が湧き立ち、雷が鳴ることも。

雲の上から雷様のリズミカルな音が響いてくると、歌わずにいられない子どもたち。

「♪かみなりさまはなぜなぜなるの そーらのおそうじがらっがらっがらっ!あーとからあめが ざあざあざあ!」

「電車の音も聞こえるよドゥドゥンドゥドゥンドゥドゥン!」「空の鉄道だからそら鉄のかみなり電車。角が生えていてピカピカ電気で走るんだよ」「♪そらてつは そーらをはしるよ ピカピカゴーゴーゴー!かみなりでんしゃ!」

「カミナリの子どもたちが乗ってくるのね」(絵本「タコのバス」のイメージかも)

「2歳の子どももいるのね」(弟妹たちの年齢らしい)

「貨物列車も走っているのね」「貨物列車にはおそうじの道具をいっぱい積んでいるの。それでみんなでおそうじするのね!」また歌が始まります。「♪そーらのおそうじ がらっがらっがら !あとからあーめが ざあざあざあ!」。

次から次にイメージが広がり、不安げにおへそをおさえていた人もいつの間にか笑顔になりました。イメージを広げ、思いを言葉で表現できるようになってきた山の組の子どもたちの想像力の豊かさに驚いたことでした。

“いつとはなしにいつでもしている”のが幼児の教育。みんなを集めて一斉に音声言語や文字言語の指導をしてみても、豊かな想像力や表現力が身につくはずはありません。あたり前の日常、いつもの遊びの生活の中、あらゆるものごとが渾然一体となって育っていくのです。子どもだけでなく大人も。お互い同士が。

幼児たちはどんな世界に住んでいるのでしょう。年少児はほぼ夢の世界に。年中児になると夢の世界と現実の世界を行ったり来たり。年長児になると現実の世界に住み始めますが、実家は夢の世界です。

幼児たちの世界はごっこ遊びの世界なのです。形のない「こうしたい」をはっきりとした形にあらわしたい。紙でお面を作って動物になったり、お人形を作ってそのお人形に乗り移って遊びたいのです。

「先生こういうの作って」。年中さんの場合、モモンガの名前が出てこなかったりするので、身体中を使ってのやり取りになることも。「こうやって飛ぶの」「リスみたいだけど、リスじゃないの」「ムササビ?」「ううん、似てるけど違うのお目々が大きくてかわいいの」という言葉で「ああ、モモンガ!」「そう!モモンガ!」「木から木へ飛び移るのよね」。

やり取りしながら保育者はモモンガの輪郭を描き始めます。やり取りを聞いていたまわりのお友達にも、遊びのイメージが伝わったらしく、「私もモモンガ作りたい!」。森の住人が増えました。

できるところは子ども自身が作り、満足してお庭へ。ツリーハウスを森のお家に、うんていを木々に見立て、滑空する遊びが始まります。もちろんブランコや登り棒も森の遊び場になります。

モモンガたちのごはんはおに庭の草や葉、枝や花びらです。森のお家で寝たり起きたりしていると、近くのお花畑ステージから音楽が響き、♪ブレーメンの音楽隊♪が始まりました。タンブリンや鈴の音も聞こえます。

心が動き、心が動くと身体が動き、自分たちもやろうとモモンガ3人はステージへ。ブレーメンの音楽隊にモモンガの登場はありませんが、ちょうちょは飛ぶし、リスにも似てるから「そこで出たらいいよ」とお友達。嬉しくて楽しくて、モモンガたちは森の木にも変身して、一生けんめい劇ごっこをしました。

劇ごっこの大きい人たちに「モモンガはここのところにつばさみたいな膜があるんだよ」と教えてもらい、3人はそれを作ってもらおうとお部屋へ。先生が柔らかい不織布を出してくれ、「こうしたらどう?」「飛んでみて」。保育者と子どもが一緒になって工夫し、目的に向かい、背中のわきのあたりに美しい飛膜をつけることができました。

満足した子どもたちは、元気よくお庭に滑空していきます。しっぽをつければより本当らしくなりますが、そのうち自分達で思いつくでしょう。

モモンガの飛膜を教えてくれた年長児たち2人が、入れ替わりでお部屋に。♪ブレーメン♪の劇ごっこや♪時計屋♪などのリズム遊びがおもしろく、心も身体も大いに動かしていい表情です。

さっきのモモンガに着想を得たらしく、自分たちはお人形を作るのだとくまちゃん文庫へ。先生と一緒にモモンガの絵本を探します。モモンガを探していたら、ヤマネにも出会いました。どちらも木の洞や小鳥の巣に住んでいるのだそう。どちらもかわいくて心が動きます。「次はヤマネ作ろうね!」。

幼児は、小さい頃は大きなものを作りたがりますが、遊びが深く広くなる年長時代になるとだんだん小型化していきます。モモンガも小さめに。飛膜は小さな蛇腹をつけて満足。保育者はお友達のようになって手伝います。同じ方向を向き、目的に向かって。

「モモンガが住む木も作らなくちゃ」「太さはこのくらいかな、穴あけるんだから」「ん、葉っぱも作らなくちゃ、穴に雨が入らないように守るんだ」。園庭に広がる木々の葉に守られ濡れずに遊んだ経験が生きます。

我が家を作ってもらったモモンガたちは巣穴を出たり入ったりしながら積木の部屋に旅に出るのです。まるで絵本「こすずめのぼうけん」のように。

積木の部屋には駅員さんがいて、電車を走らせています。大型積木の森で遊びくたびれたモモンガたちを乗せてくれたり、駅構内のレストランでお昼ご飯も食べさせてくれます。山の組のお友達同までイメージを広げ作り出したものたちが、モモンガに乗り移った2人の遊びを広げたり深めたりしてくれるのです。

「こうしたい」という子どもたちの思いを、はっきりとした形にあらわすために、一人ひとりとやり取りしながら、保育者たちは心も頭も身体も、持っている自らの機能を全て使います。その子どもの年齢や発達を考え、困難度を今の子どもの力で乗り越えられる程度にするのです。達成感が得られるように。達成感は次への意欲になるからです。

「手伝ってあげていると依頼心を育ててしまうのでは」と心配なさる方もいらっしゃいますが、「心でやってあげているのだから依頼心にはならないのですよ」とお伝えしています。逆なのです。子どもの手の代わりに一体となってやってあげていると、いろいろなことに意欲的に取り組み、打ち込んで疲れない子どもに育つのです。幼稚園の教育環境のいちばんは人間。お友達、保育者そしてお母様です。

乳幼児期に望んだことを望んだとおり十分にしてもらえた子どもは、人を信じる力と自分を信じる力、自信や意欲を身につけることができます。母親は、子どもが望む愛情ではなく親自身が望む愛情のかけ方をしがちです。母親の都合で。乳児の頃から長時間、集団保育に預けられたりもします。

そうした場合、母親を信じる力が弱くなりがち。お母様を信じる力が弱いということは、母親以外の人を信じる力も弱く、自分自身を信じる能力も身につきにくいのです。

そういうお子さんは不安や不満、無力感をかかえているため、持って生まれた自分の力を使うことが難しい。困難にぶつかった時、すぐ諦めてしまいがちです。

3歳は3歳の時使っておくべき力。4歳は4歳の、5歳は5歳の、その時使っておかなければならない力があるのですが、基本的信頼感をしっかり持っていない子どもは、その時その時の力が使えず、建全な成長が難しいのです。

そういうわけで、幼稚園のいちばんの教育環境の一人がお母様なのです。夢のある言葉より、な現実的、いわゆる教育的な言葉を聞かされているお子さんには、言葉を騒音として聞き流す傾向があります。理由や説明など、子どもの世界に必要のないことをたくさん詰め込まれ、自ら感じ考える力が乏しくなってしまうのです。そういうお子さんは、保育者やお友達とやり取りしたりイメージを共有することが難しかったりします。

基本的信頼感を身につけていない場合、創造性を培うことは簡単ではありません。が、お母様がお子さんとの関係の中で変わっていければ、母が母として成長発達できれば、お子さんは変わります。相手から変えられる力と相手を変えられる力が等しい豊かな人間関係。言ってみれば「賢くなり合う関係」になればいいのです。

孔子は『論語』の中でこう言っているのですって。「学んでいる者よりも好きだと思っている者がいい。好きだと思っている者より楽しむ者が一番上だ」。

学ぶことの最高が楽しむことだと。学んでいて楽しくなかったら本当には学んでいないのだと、孔子先生はおっしゃっているのです。

いやいや学んだことは身につかない。学んだことが身についていなかったら、話にならない。けれどただ楽しいだけでは偽物で、楽しもうと思うと、どこかに苦しみが入ってくる。

この両方が入りながら楽しいというのが学ぶことではないかと、河合準雄先生はおっしゃっています。楽しいけれど苦しい。苦しいけれど楽しい。苦楽しい。そう、子育ては苦楽しいのです。

子どもたちの遊びの生活も、楽しく遊ぶために一生けんめい工夫し、努力し、今までやったことのないことに立ち向かったりしています。お友達や保育者と一緒に、心も頭も身体も精一杯使いながら、苦しく楽しく。

幼児の遊びは学び、研究のようでもあります。幼児の遊びの根本は身体です。ごっこ遊びの時、モモンガになるのだって、モモンガのお人形に乗り移るのだって身体です。

別の言い方をすると「一体感」です。保育者やお友達とイメージを共有するのも「一体感」。虫をつかまえるのだって「一体感」。電車を作って動かして遊ぶのも、劇やリズム遊びも「一体感」。心と頭と身体が同時進行しているのです。違ったものが混じり合い溶け合い、渾然一体となって子どもも大人もお互い同志が育っていきます。

子育ても身体がものを言います。我が子との「一体感」を味わいながら、お母様も子どもの時間を共有できるといい。お母様の中に折りたたんであったあの頃の感覚が広げられ、お互い同士が変えられる豊かな関係に、軽くなり合う間柄になれるといい。楽しく苦しく苦楽しい日々の中で。

星たちに願う7月、七夕月の幼稚園です———。