今この世の中にある珍しいものは何か
と 問われれば
嬉しい母と 嬉しい子ども と答えるだろう 。
母たちはキャリアを目指す。
熟練した知識や技術を持ち
第一線で働く女性になりたい。
キャリアアップもしたい。
より高い地位や給料の会社へ転職して
より高い税金を国に納めたい。
小さな我が子がいても
母になる前の自分でいたい。
母たちは忙しい。
あんよもままならない我が子を 手離す。
我が子と時間を共有できず
我が子に手をかけられないから
我が子の心の中で何が起こっているか
気づくことは難しい。
我が子のことは わからないままだ。
でも 今はそういう時代だからと片付けてしまう。
周囲も 深く考えることはしない、そういう時代だからと。
自分の頭で考えようとしない。
割を食うのは 小さな子どもたちだーーー。
この小さい幼稚園の母たちも
母になっても子を預け仕事をしなければ。
なぜだかそう思わされていた。
けれど、生まれた我が子を育てているうちに
かわいくて 手離すことができなくなった と聞く。
太古からの子育てホルモン オキシトシンが
時代を超えて そうさせたのかもしれない。
高階幼稚園で生活すると
我が子がもっとかわいくなる。
育てる者として 自分も育てられていることに気づく。
我が子を育てながら熟練した知識や技術を持ち
第一線で活躍できるいろいろが
身についてしまうのだ。
母も子も成長する。
教育はお互いだから 母も子も自信に満ちる。
母にも子にも
人生を生きる力が
培われるのだ。
山の組年長母たちのお弁当は
今日で終わりを告げる。
子どもたちにそんなことは
本当にはわからないが。
時折「高階幼稚園もどうですか」と お弁当屋さんがやって来る。
「すみません、ここはお母さんのお弁当なのです」と伝えると
「本当はそれが一番いいんだよねえ」と
嬉しそうに帰っていく。
今はおじさんになった お弁当屋さんも
子ども時代を思い出すのかもしれない。
たくさん遊んで お腹が空いて
お母さんのお弁当。
お母さんの味が心と身体に沁みわたり
また 意欲に満ちた午後の遊びが始まる。
お母さんは お弁当に変身して
子どもたちを支えていたのだ。
嬉しい母たちと嬉しい子どもたちと嬉しい幼稚園の
母と子を繋いだお弁当に
思いが溢れる。
「そういう時代」に せっせとお弁当を作った母たちに伝えたい。
ああ、あの時ああしておいてよかったと
心から思う日がやってくる と。
そして 子どもたちに代わって
感謝を申し上げたい。
ありがとう
ありがとう
おいしいいつもの母の味を ありがとうとーーー。