昨日の雪が残る 幼稚園の朝。
お庭の寒さに たまらず
お部屋で遊ぼうと森さんたち。
椅子取りゲームを思い出し
自分たちで並べる。
イスの並びはどんなでも
座れればいいのだ。
走って座る。
お友達と一緒に。
それが楽しい。
それが嬉しい。
秋の運動会での 母たちの本気が
子どもたちの遊びの生活の中に
根を下ろして
小さい人たちの イメージの共有の
力になっているのだ。
積み木のお部屋の 山さんたち。
作った物を使って
ごっこ遊びする 子ども。
カップちゃんのお散歩や
かくれんぼごっこの子ども。
描いたり考えたり
遊ぶために作る子ども。
黒板は 子どものためにある。
これは絵本。
山のお部屋の子ども。
おうちの壁にするのか。
お庭や畑にするのか。
花や野菜たちの歌が
聞こえてきそうだ。
お汁粉屋かと思ったら お鮨屋か。
お鮨作りとメニュー作りが
同時進行。
森の組からは 雛祭りの曲が。
大勢で踊る
小さいかわいい お雛様。
今日は3月4日だけれど
幼稚園はトクベツだから今日も3月3日だ。
笛や太鼓を聞きながら
同じお部屋で 違う遊びが
繰り広げられている。
それがいい。
カスタカチカチも やっぱりやりたい。
一人ひとりの音が リズムを作り
みんなの音になることは楽しい。
お庭で遊べない時
こうして リズム遊びで
心も身体も 動かせることは
本当に楽しい。
遊園地にだって
行ったつもりになれる。
大好きなボールを見つけ
嬉しい子どもと
お友達が嬉しいと 嬉しい子ども。
そういう間柄になったことが
嬉しい保育者。
高階幼稚園には
子どもたちの心と頭と身体の成長のために
惜しみなく世話をする 保育者たちがいる。
都市化して 最も損をこうむるのは
小さな幼児たちだ。
大人たちは 子どもを手っ取り早く能率的に育てたい。
幼児は自然の存在だから
無駄を省く合理化などとは
対照的にあるものなのだ。
手をかけ 心をかけ
お惜しみなく世話をしなければ
幼児の心身に 生きる力は育たない。
たわいなく思える
幼児たちとの 毎日の積み重ねが
幼児だけでなく 大人も育てる。
育てる者としての大人も育つのだ。
我が子に 主体性が育ってくると気づく。
惜しみなく世話をしているうちに
いつの間にか母自身も
主体的になっていたことに。
母の中にも 自然が帰ってくるのだ。
子育ては なんとおもしろいのだろう。
「おもしろい」とは目の前が広々とひらけることだという。
本当にそう思うーーー。