どんな養育者でも


おはようございます。

ゆうた先生です。

おにわ通信をお送りします。

キライだけど好き

とてもおもしろく、興味深いポストを紹介します。

(文字起こし)

赤ちゃんの鼻水吸いすぎて母子関係終わるかと思ったけど、これ際限なく許してくれるな、鼻水吸われて嫌でした〜😭って私に甘えてくる 私が良い養育者じゃなくても、幼いうちはこの子は私のこと好きなんだろうな、それってかなり怖いよなと思った

吸引機で赤ちゃんの鼻水を吸い取ったエピソード。

「母子関係終わるかと思った」は、赤ちゃんがそれほどイヤがっていたということでしょう。

この女性は、赤ちゃんの身体を守るためとはいえ、半ば無理やり鼻を吸ったことに罪悪感のようなものを感じているようです。

とはいえ、この出来事によって2人の関係が壊れることなどなく、いつもの生活に戻ったのでした。

そんな、とても心温まる一コマ。

さて、大切なのはここから。「私が良い養育者じゃなくても」以降ですね。

求め続ける習性と人生戦略

投稿者の女性は、ちょっと考ん込んだわけです。

私が良い養育者じゃなくても、幼いうちはこの子は私のこと好きなんだろうな」って。

これは一般論としても真実。

どれだけ虐げられても、小さい子供は養育者(例えば母親)を求め続ける本能的性質があるのです。

仮に「意地悪」をされようが「暴力」を振るわれようが、アタッチメント行動(親に近づく、呼ぶなど)を続けるということ。

そうやって、少しでも養育してもらい、生存の可能性を上げることで、ヒトは遺伝子を繋いできました。

こうした行動様式が残っているのは当然です。

また、冷たい関係の中で養育されるがその冷たい環境に適応しようとするのも、ごく自然な現象。

例えば、ストレスフルな生活が「量的繁殖戦略」の要因になることは有名です。

人間関係を含めた環境からのストレスが身体の成熟を(過度に)早め、なるべく多くの異性と薄い関係をもつようになる、という考え方。かなり研究が進んでいます。
参照:遠藤利彦「個別的要素の観点から見るアタッチメント理論の現在」

嬉しい関係にも苦しい関係にも、人間は順応するのですね。

上記の女性の「それってかなり怖いよな」という感想は、親の養育態度が子の人生に大きく影響することを肌感覚で理解していることによるのでしょう。

実は怖くない

とはいえ、怖がっていては生活が楽しくなりません。

怖がる必要も、実はありませんしね。

おにわ通信でも100回くらいお話ししていますが、こうイメージしてみてください。

子供から出てきたアイデアや気持ちを感じとり、伴走する感じです。

時には大人からも、ほんの少し働きかけてみたりして。

こうなれば、一緒に遊ぶ時間も、共に過ごす時間も、嬉しいものになるに違いありません。

子は無条件で親を愛す、という生き物としての性質を、いい方向に活かしたいですね。