正統の幼稚園

金曜の朝。

やみそうでやまない雨。


山さんたちは

昨日の続きの 製作を始める。

作ったお人形たちが住む家や

遊ぶ遊具を仕上げたい。



森さんたちも

遊ぶために 一生けんめい作っている。

森さんも山さんも

楽しく遊ぶために

イメージを膨らませる。


おいしいものを作って


お人形たちに 食べさせたい。

新しいお洋服も


着せてあげたい。

先生の手を借りながら

達成のために 一生けんめいだ。

新しいお洋服を着て お出かけ。

動物たちも乗ろう!

くるくる回っておもしろい!


さっき作ったお屋根で

お城がもっとすてきになった。

子どもたちは お人形に乗り移って

イメージの世界で遊ぶ。

自分はお人形になっているから お屋根もこわくない。


あ、アナが飛行機に乗ってやってきた。

お屋根でも遊べるような工夫を

付け加える 保育者。


あ、お屋根がもう一つできあがる。

小人で遊ぶグループも


飛行機に乗せ やってくる。

遊ぶための工夫はおもしろい。

もっとおもしろく遊ぶために


一生けんめい考える。


一生けんめいはおもしろい。


小さい森さんたちも 一生けんめい遊んでいる。

観光客を乗せて 電車は走る。


車内販売はドーナツだ。

小さい人たちも

“お互い同士”になってきて 嬉しい。

地下鉄も走っている。


すれ違って走っていて すばらしい。

相手を待ったり よけたりしているのだもの。

“自分のことばかり”ではなくなってきたのだなあ!

だから 遊びが続くのだ。

日々 心を配り

夢中で保育しているよし子先生は

どんなに嬉しいことだろう。


幼稚園のそこここで

熱心な遊びが繰り広げられ

一学期の充実を感じる。

このような生活を


“いわゆる教育的”な大人たちが

ただ外側からながめたら


遊んでばかりいる と言うだろう。

子どもさながらの遊びの生活をこわさず


その中に教育を入れている

最も正統な幼稚園なのだが。


子どもたちは皆

自分たちは毎日楽しく 一生けんめい

遊んでいると思っている。

毎日よく学んでいるなどと

子どもたちに思わせているとしたら

それは 幼児教育として 失敗だーーー。