令和5年。
小さい高階幼稚園にも
新しい年が やってきた。
子どもの世界は 毎日が新しいから
感覚を研ぎ澄まして
生き生きと生活しよう。
大人も 子どもから学んで 成長しよう。
大人が成長すると
子どもも一緒に 成長する。
教育はお互いだ。
こんなに小さい人たちが
安心して 安定して
子ども自身の力を 展開させるのには
一緒に生活する 保育者の中にある力を
惜しみなく使うことだ。
心も身体も。
朝やって来た子どもたちの 求めること
または その先のことに
一心不乱になっていると
いつの間にか
子ども一人ひとりが
自分自身の持っている力を使って
夢中になっているのに 気づく。
大きい人たちも
小さい人たちとは また違ったところで
保育者の心を 必要としている。
保育者は ある時は子どもになって
またある時は 子どもの輪の外側から
子どもの遊びの生活を 支える。
大きい人たちは お互い同士
持っている遊びのイメージを
高めあったり 深め合ったりしながらの遊びに
遠慮もないが 勝手もない。
いい仲間たちだ。
保育 保育というけれど
こうして目の前で 展開されている時のみが
保育ではない。
今日一日を 満ち足りた思いで過ごせただろうかと
子どもたちが帰った後の
静まり返った保育室で 考える。
そこここに残る
子どもたちの遊びの後を 片付けながら
あの時、この時を振り返り 考える。
○ちゃんにはこれでよかったのだろうか と
自分が足りなかったのではないかと
子どもの心になって 考えるのだ。
明日は こうしてみようと。
それが保育。
そうしながら 保育者が育つ。
保育者と一緒に 子どもも育つーーー。