一人 またひとりやってくる
火曜日の朝。
「ちょうちょさんの翅 やぶれてるよ」
「ほんとだ」
「お外に出たいって いってるよ」
きのこのお家には ダンゴ虫。
だいきのこのうえんには
藁のお家も作られて
素朴な味わいに。
新しいきのこも 顔を出し
嬉しい研究員たち。
玉入れの 小さい人たち。
おお すごい!
いつの間にか こんなに入った!
だいきのこのうえんには
幼虫も顔を出す。
メンバーチェンジした
玉入れチーム 森の組。
こちらは 砂場チーム。
年少さんと 年中さん。
始まりは それぞれだった遊び。
いつの間にか イメージの共有が 始まる。
年長さんたちは お祭りごっこ。
もうすぐ 川越祭りだものね。
男児のお祭り熱の影響で
お友達も お祭り好きに。
お囃子も威勢がいいけれど
しっとりと踊るのも また楽しい。
森さんたちは テラスで
おさいふ作り。
ガソリンスタンドへ行くのだ、きっと。
幼稚園のそこここで
熱心な遊びが 繰り広げられている。
もうすぐ運動会だけれど
いつもの遊びの生活に ひとつ運動会が増えた というふう。
子どもの生活全体を
運動会へ向けて引っ張ることはしない。
そういう生活を続けると
必ず 子どもたちの心に歪みがあらわれる。
幼児は“心持ち”に 生きているからだ。
心持ちに不安や不満が生じれば
その生活全体が 建設的ではなくなる。
建設的の反対は 破壊的だ。
満足し 安心安定した子どもが集まるから
建設的な遊びの生活が 成り立つのだ。
大人に見せるために
毎日何度も 練習させられている子どもたちは
本番が終わったなら
もう二度と やりたくないだろう。
そんな運動会なら しないほうがいい。
運動会に限らず 近い将来のために
今という時を 大切にできないなんて
幼児の教育とは 言えない。
母と子の間の 基本的信頼感が
年々薄まっている昨今
初めての体験を こばむ子ども
共感する力の弱い子どもが 年々増えている。
できる、できない などと 外側ばかり。
子どもの“今”を おろそかにしていると
将来 大変なことになるだろうーーー。